サンクチュアリ通信BLOG 平和戦略

世界平和戦略、日本の国家戦略から、宗教、歴史、政治など、さまざまな分野を幅広くあつかうBLOGです。 分かりやすく、面白い、解説に努めます。

独立国・ジパングと、隷属国・イングランド (日・英・比較論)

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サムライ・地政学的優位が元寇撃退


島嶼独立国家・日本 -グローバリズムと戦う日本文明論-2》  


永田正治 (Masaharu Nagata) 

 

●はじめに

悠久な世界の歩みは、帝国が力を振るい、多くの国家、民族は主権を奪われましたが、第二次世界大戦後、諸国は次々と独立し、帝国の時代は終焉したかのようにみえました。しかし、それは真の独立ではありませんでした。確かに、「目にみえる帝国」は解体しました。それに代わり、「目にみえない帝国」が支配者として君臨するようになったのです。その帝国は「グローバリスト帝国」です。すなわち、歴史的に、諸国民は、可視の帝国と不可視の帝国、すなわち「帝国」というものに支配されたのです。しかし、日本は、明治以前まで、中華帝国の力が及ばない地政学的条件により、帝国から独立していました。ここでは、なぜ日本が、歴史的に帝国から自由であったかを、同じ島嶼国家であるイギリス史との比較も加え説明いたします。

本論に入る前に、ジパングという架空の国を紹介します。

 

 

島嶼独立国家・ジパング

ヨーロッパ・イベリア半島の西方海域、スペインの近くに「ジパング」という島国がある。この国は悠久の歴史を持ち、地理的、人種的にヨーロッパに属すが、大陸勢力に支配されたことがなく、西欧覇権闘争の圏外にあった幸運な国である。キリスト教は盛んだが、他国の圧力を受けたのではなく、自ら導入した。一方、ヨーロッパでは消滅した民族宗教も信仰しており、民族宗教儀式やキリスト教儀式を、生活の場面に応じて使い分ける独特な宗教的慣習を持つ。



近代になり、アジア文明にシンパシーを抱き、ヨーロッパ文明を軽視するようになり、「脱欧入亜」という言葉さえ登場した。後にヨーロッパ大陸に勢力を拡大し、フランスまで侵攻したが、多くの国を敵に回し敗北した。勤勉な国民なので、急速な復興を遂げ、今日では国際社会で重要な役割を担う国となっている。


ジパング」を理解するのは、他のヨーロッパ諸国のようにはいかない。この国が一体どの文明に属するか明確でないからだ。人々に聞いても、自分達の文明はヨーロッパの国々とは根本的に異なると言う。それではアジアかと言うとそうでもない。彼ら自身も明確な答えを持たない、謎の国だ。結局、多くの識者はこの国を、どの巨大文明圏にも属さない「ジパング文明」の国だと認識するようになった。


以上は、日本のあり方をヨーロッパの「ジパング」という架空の国に見立てて描写したものです。日本も大陸勢力に征服されたことがなく、仏教や儒教を自力で受容し、民族宗教である神道も滅びずに信仰しています。近代になり「脱亜入欧」の道を歩み、文明の帰属が曖昧です。ちなみに、ヨーロッパには「ジパング」のような文明帰属がはっきりしない国はありません。


通常、外国を観察する時には、その国がどの文明に属するか注目します。そこから演繹すると国のあり方から人々の価値観、周辺国家との関係など多くのことが分かり、行動の予測もかなりの程度可能になります。たとえば、スペインはヨーロッパ・キリスト教文明、イランは中東・イスラム文明、タイならば東南アジア・仏教文明を踏まえて考えられます。どの文明に属しているか明確でない「ジパング」のような国は、その国の「根」、すなわち国家のアイデンティティが分からないので、外国人には理解が難しく、異文化間の交流にハンディーを負うのです。


以上の話から始めたのは、ヨーロッパに場所を移し、「ジパング」という国を想定することによって、日本が諸国と異なる背景を持つことをはっきりさせるとともに、日本を「ジパング」を見るような客観的視点から観察していただきたいと思うからです。

 

 

                                                                        * * *

 

 

なぜ、日本が「島嶼独立国家」なのか?

日本は長く他国に支配されたことのない独立国家でした。「独立」は近代的概念ですが、日本史を貫く国際政治的状況を的確に表現できる言葉です。独立を担保した条件は、島嶼という地理的条件、高度な文明があり、軍事力が充実していたこと、中華帝国の対外政策のあり方と、大陸勢力との緩衝地帯として朝鮮半島が存在したこと。そして日本自身が大陸に侵攻して帝国を形成しなかったことです。



世界文明の流れは大陸から島嶼へと向い、エーゲ文明を生んだクレタ島のように、古代ギリシャ文明の先駆けとなった島嶼国もありましたが、これも背後にオリエント大陸文明があったため可能でした。島嶼地域は、大体において文明化と国家建設が遅れ、大陸文明に比べ弱体で、大陸勢力に容易に征服されました。それはイギリスのような国も例外ではありません。インドネシア、フィリピン、シンガポールなど東アジアの島嶼国も、やはり文明化と国家建設が遅れ、大陸勢力に征服されました。


旧大陸から見ると「大きな島」とも言える南北アメリカも、ヨーロッパ人によりインカ文明とアステカ文明が滅ぼされ、インディオは支配されました。このように島嶼地域や新大陸も、ユーラシア大陸の弱肉強食の現実から逃れることはできなかったのです。


しかし、島嶼国家に高度な文明と軍事力が備わると、大陸勢力といえども征服は簡単ではありませんでした。強力なナポレオン軍やヒトラーのドイツ軍が英本土に侵攻できなかったのは、ドーバー海峡の存在とイギリスが高度な技術文明と軍事能力を持っていたからです。


日本も元寇のとき、防備を固め、武士が抗戦し、モンゴル軍の上陸を阻んでいるあいだに、敵軍に台風が襲いました。大軍を動員できる文明力と、自然の要害としての海がひとつとなり侵略を防いだのです。このように攻撃側と守備側の文明水準に大きな差がない限り、海は堅固な要害であり得ました。


今日、島嶼国家は他国による脅威を免れ易く、治安は良好で、平和な社会を維持していることは、次のような調査からも明らかです。「経済・平和研究所(IEP)」が、戦争やテロ、軍事や犯罪など23の指標で数値化した2018年の世界平和度指数ランキングの上位10カ国は、



アイスランド、②ニュージーランド、③オーストリア、④ポルトガル、⑤デンマーク、⑥カナダ、⑦チェコ、⑧シンガポール、⑨日本、⑩アイルランドです。



10位圏のうち、アイスランドニュージーランドシンガポール、日本、アイルランドの5カ国は、島嶼国家なのです。196カ国中の39カ国という、全体国家数に占める比率が圧倒的に低い島嶼国家が5カ国も入っています。それは「島国」という地政学的条件が、平和の実現を容易にしていることを証明します。


日本が独立を維持できた国際的条件として、歴代中華帝国のほとんどが、建国期には拡大を図っても、安定を得ると、朝貢で国家間の上下秩序を形成することで満足する国だったからです。ローマ帝国のような、陸と海を遠征し領土を拡げた国や、イスラム帝国のように宗教伝播のため征服を行なう国が東アジアに君臨していたら、日本が独立を維持できたかは疑問です。


韓国の存在も重要です。朝鮮半島国家は侵略政策をとりませんでした。幾度か、中華帝国の軍勢が半島まで侵攻しましたが、漢は西北部のみを占領し、唐は新羅により撃退され、元は高麗に抵抗され元軍の日本侵攻を遅らせました。大陸勢力が膨張政策をとるとき、朝鮮半島が緩衝地帯となり日本は危機を免れたのです。朝鮮半島の存在と歴代朝鮮半島国家の行動が、日本の平和に貢献したことは否定できません。


日本が近代以前、文禄・慶長の役のほか外国を侵略しなかったことも、大陸勢力からの報復を免れ、大陸と島嶼の勢力圏分離がなされ、自国の安全を守ることにつながりました。日本自身が帝国建設を目指さなかったことが、結果としてこの国の独立と平和を維持することになったのです。以上のように、「島嶼独立国家」は島嶼という地理的条件、文明力、そして日本、中国、韓国という東アジア3カ国の行動により成立したのです。

 

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世界を代表する島嶼国、日・英。その相反する歴史的経験。




島嶼国家イギリスの苛酷な受難史

近世以降、島嶼国家として世界に強い影響力を持ったのはイギリスと日本でしょう。日本の特殊性を明確にするにはイギリスと比較するのが近道です。両国は王室を戴き、国民性も類似したところが少なくありませんが、対外関係史から見ると、中世までのイギリスの歩みは、日本と正反対と言えるほど苦難に満ちたものでした。


ブリテン島には紀元前7世紀頃からケルト人が居住していましたが、紀元前1世紀にカエサルが侵入し、後にローマの属州となり、122年にはハドリアヌス帝が北部に堅固な長城を建設しました。イギリスは早くも紀元前、ローマ帝国に征服され、4世紀半ものあいだ支配されたのです。この時代にローマ風文化が栄えキリスト教も伝わりました。


5世紀なかば、大陸からアングロサクソン族が侵入し、ケルト人を征服し「七王国」を建てました。この時期に文化は荒廃し、キリスト教会も姿を消してしまいます。6世紀後半、大法王と称えられたグレゴリウス1世は、40人の布教団を派遣し、イギリスにキリスト教を復興させました。グレゴリウス1世は若い頃、ローマで可憐なアングル人少年奴隷を見て、彼らに神を知らせようと決心したと言います。イギリスは再度のキリスト教化を契機に、文明が興隆して行ったのです。


ところが、11世紀になり、バイキング王カヌートに征服され、デンマークに併合されてしまいます。カヌートの死後アングロサクソン王家が復活したのも束の間、1066年、やはりバイキングの子孫でフランスに領土をもつノルマンディー公ウイリアムに征服され、以後イギリスは長く、フランス語を話す人々に支配されました。ヨーロッパはバイキングの跳梁に悩まされましたが、諸国はよくこれを防衛し、また、彼らに利益を与え懐柔しましたが、イギリスは完全に征服され、ふたつの王朝が建てられたのです。


以上のように、イギリスは幾度も異民族による侵略と支配を受けました。主要民族であるアングロサクソンケルト人の土地を奪った征服者であるとともに、ノルマン人によって支配された被征服民でもあるという複雑な歴史を経たのです。


反面、ローマという文明の光源から遠く離れているにもかかわらず、海を越えて行なわれたローマ帝国による征服とローマカトリックによるキリスト教化は、早くからイギリスを文明化しました。このようにイギリスは、大陸からの強力な働き掛けにより「国のかたち」ができ上がったのです。それが日本と決定的に異なる点です。


イギリスは大陸からの試練によって国際政治の厳しさを身をもって知り、したたかな現実主義を磨く一方、ローマ文明とキリスト教の受容によって文明度を高めました。この歴史的経験は後に七つの海を支配する大英帝国建設の礎となったのです。


イギリス史と比較すると、大陸勢力から征服や圧力を受けなかった日本が、どれほど特殊な歴史を持つ国であるか判ります。近代に日本は、アジアに覇権を拡大し帝国を形成しましたが、イギリスと比べ、国際関係において経験不足の帝国でした。


そもそも日本は、「帝国」と縁のない国で、他国から支配されたことも支配したこともなく、敵国と外交駆け引きを演じた経験すらほとんど持たない国でした。それが明治になるや、急に大陸進出をはじめ長く平和的に共存してきた隣国を支配したのです。日本が近代におこなった帝国建設は、民族の歴史的背景にそぐわない、極めて困難な政策だったのです。


 

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21世紀の奇跡・トランプ福音主義大統領とBrexit(イギリスのEU離脱)

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日本は反グローバリズムに舵を切れ!

島嶼独立国家・日本 -グローバリズムと戦う日本文明論-1》


永田正治 (Masaharu Nagata )

 

●はじめに

アメリカとイギリスは世界をグローバリズムに巻き込んだ二大国家です。なんと、その二カ国から、トランプ革命とBrexitという、強力な反グローバリズム運動が開始されました。これは世界史的大革命です。21世紀人類文明の運命はこの動きによって左右され、今日、世界平和戦略の最重要テーマは、反グローバリズム革命のゆくえなのです。

 

 

世界文明はグローバリズムからナショナリズム

世界の新潮流である、グローバリズムの終焉とナショナリズムの台頭は、政治、経済に止まらない文明現象というべきです。この文明転換は凄まじい勢いで進行しています。すでに、グローバリズムの限界は、1997年のアジア金融危機、そして2008年のリーマンショックで噴き出していました。当時、事態の原因を見抜いた人々は、強欲なグローバル金融資本が、人間の経済をメチャクチャにしていると警告しました。この混乱で、いったい、どのくらいの中小企業が破綻し、労働者の家族が路頭に迷い、経営者が自殺に追い込まれたでしょうか。グローバリストはこんな悲劇は、毛ほども眼中にありません。

 


2013年の11月、ローマ法王が、新自由主義経済がもたらす格差拡大、民主主義の危機、エリートの無責任を批判しました。2012年末から、日本における反グローバリズムの第一人者である馬渕睦夫が活動を本格化し、2014年には、エマニュエル・トッド氏と5人の学者の共著グローバリズムが世界を滅ぼす』が世に出、2015年には、トッド氏の、反EU、反グローバリズムの話題作、『〈ドイツ帝国〉が世界を破綻させる‐日本人への警告-』が注目を浴び、ようやく、日本人のグローバル経済に対する信頼も揺らぎ出しました。

 


そして奇跡の2016年を迎えます。6月23日、イギリス国民がEUからの離脱を選択し、11月8日、アメリカ国民は、ドナルド・トランプ氏を45代大統領に選出しました。驚くべきことに、世界をグローバリズムに引き入れた二大国家から、反グローバリズムの強力な動きが開始されたのです。それに対し、グローバリストはイギリスのEU離脱を阻止しようとし、トランプ大統領をロシアンゲートなどで引きずり下ろそうとしました。21世紀は、反グローバリストとグローバリストの対立が世界の運命を決する時代になりました。



日本は反グローバリズムに舵を切れ

日本は、反グローバリズムの潮流に率先して加わり、先駆的役割を果たすべきです。なぜなら、日本にとってこの文明の転換は、かつてなかった幸運なのです。日本文明が、「孤立」から、「世界の主流」に立つことができるからです。



文明の衝突の著者サミュエル・ハンチントン氏は、日本は「家族をもたない文明」であり、「危機に見舞われた場合、日本に文化的なアイデンティティを感じるという理由で、他の国が結集して支援してくれることを当てにできない国家」と指摘しました。アメリカはキリスト教文明で、ヨーロッパと繋がっています。韓国は、中華文明で中国と繋がっています。しかし日本は、日本文明という単一文明で、文明的に孤立しているとみます。これは驚くに足りません、堺屋太一氏も、日本がヨーロッパ・キリスト教文化圏とも東亜中華文化圏とも異なる「第五の文化亜大陸」であると論じ、司馬遼太郎氏は、日本がアジア的な原理で動いてきたことのない国であり、「初めから脱亜している国」であると断じました。



ですから「脱亜入欧」という言葉が成立します。脱亜という文明的挑戦は、日本が、アジアの停滞から抜け出し、発展させる力になりました。しかし、西洋諸国は日本を西洋文明の一員とは受け入れません。ですから、世界における、日本人の文明的アイデンティー確立は困難をともないました。西洋文明にもアジア文明にも属さない日本人は、文明的に自信をもって立つ場所がなかったのです。例えば、しっかりアジア文明に属するインド人や中国人、韓国人はアジア人としての自分たちを主張します。



しかし、世界の新潮流である反グローバリズムは、文明圏を問題にしません。反グローバリズムは、国家の独立性、国家主権を重視する思想です。同一文明圏の国家が集まって共同体をつくるものではなく、国家主権のうえにグローバル組織体が君臨するものでもありません。EUはキリスト教文明圏の共同体ですが、反グローバリズムはEUのような枠組みは認めません。鳩山由紀夫元首相が提唱した、東アジア共同体というグローバル組織も論外です。



すなわち、来るべき反グローバルリズムの世界は、文明圏の帰属を問わず、「国家の独立を尊重する文明」です。日本は、歴史的に、巨大文明である中華帝国に従属しなかった「島嶼独立国家」であり、その文明的立場が、反グローバリズムが目指す文明的立場と一致するのです。21世紀は日本に積極的役割を求める反グローバル文明が開かれようとしています。



なぜ、グローバリズムがいけないのか

「人・物・金」が、国境を越えてダイナミックに移動するグローバル経済は、人々を豊かにすると思われてきました。常識のように、新自由主義に基づく、グローバル市場、グローバル経済は、世界経済の発展に多大な貢献をすると信じられてきました。トランプ大統領登場まで、反グローバリズムなど、変わり者の異端説ぐらいにしか受け止められませんでした。



しかし、グローバル経済が進展し、今日の状況をみると、豊かになるどころか、貧富の格差が拡大し、多くの人々は貧しくなりました。今、日本は、非正規雇用者が4割を越え、国民の7人に1人が貧困にあえいでいます。これは数字に表れない部分でもっと実感できます。明らかに、国民は、公務員など安定した職場の人々と、もっと多数の、不安定な職場で低賃金で働かなければならない人々に、二分しました。多くの人々は、豊かさを体感できず、消費は増えず、慢性的デフレ経済に陥っています。また、世界の上位1%の富裕層が83%の富を独占する不均衡と、80人あまりのスーパーリッチが、途方もない富で、世界経済と政治まで左右する異常な状態。今や、それを多くの人が認識しています。



問題は、グローバル経済を動かす人々の「動機」です。それは富の創造、金儲けです。それも凄まじい強欲が肯定される世界で、強欲でなければ生き残れません。後進国家群から、安い商品と労働者を受け入れる流れが続いています。これで富むのは経営者だけです。先進国に押し寄せる安価な商品と労働力は、多くの人々の仕事を奪い、賃金を減らし、貧困をもたらしました。それが先進国アメリカでトランプ革命が起こった理由なのです。



また、グローバル経済は激しい競争をよびます。人々は、貧しくなる一方、苛酷な競争に勝ち抜かなければならず、労働はつらいものになります。日本人は従順で勤勉なので、忍耐していますが、競争について行けない人が増え、中年層の引きこもりが深刻化しています。



一方で、グローバル化とともに、外国人が増え、社会は不調和なモザイクのような分裂が起きています。外国人がゆるやかに増えるのは望ましいですが、急激に増加すれば深刻な問題になります。それはヨーロッパの現状が如実に示します。昨年12月の改正入管法で、5年間に35万人あまりの外国人労働者を受け入れますが、これは、日本社会の分裂を加速させます。まず、いま居住する外国人としっかり馴染み、ゆるやかに新しい外国人を受け入れる方針に転換すべきです。 



奇跡の大逆転

過去、グローバリゼーションは二度ありました。第1次グローバリゼーションは、イギリスを中心とし1870年代から始まり、結局、1914年の第一次世界大戦と、1929年の世界恐慌という悲劇で終焉しました。第2次グローバリゼーションは、アメリカ、イギリスを中心とし、1980年代から本格化し、現在に至ります。経済史専門家のH・ジェームス氏は「第一期のグローバリゼーションの時代と現代との統計的な比較を試みた経済学者は、たいていその相似性に驚く」と述べました。すなわち、今、私たちが住む世界は、過去、大戦争を引き起こした経済状況が再現している、極めて危険な時代なのです。



第2次グローバリゼーションの特徴は、様々に問題点が論じられ、人々に自覚され、その原因も特定されていることです。グローバリズムを推進しているのがグローバリストであり、その由来と影響も理解されています。世界の基軸通貨であるドルを発行しているFRB(Federal Reserve Board・連邦準備制度理事会)が、アメリカ政府の機関でなく、グローバリストの銀行家の機関であり、彼らがドルの発行権を掌握していること。覇権国家であるアメリカは、グローバリスト・ウォール街の「ディープステート」が、金の力で政治を動かし、そこに、グローバル巨大企業群が連なります。彼らこそ、世界を動かす真の勢力なのです。これらは、長く隠されてきましたが、今や、多くの人々が知るところとなりました。



このグローバリストの凄まじい力は、『聖書』の黙示録13章にある「だれが、この獣に匹敵し得ようか。だれが、これと戦うことができようか」と描かれる悪魔の獣のように圧倒的と思われました。しかし、2016年、アメリカのトランプ・福音主義大統領の登場と、Brexit(イギリスのEU離脱)で、形勢は一挙に逆転しました。これは、1985年にソビエト連邦ゴルバチョフ書記長が誕生したことと似ています。4年後の1989年にベルリンの壁が崩壊し、7年後の1991年にソ連が崩壊しました。今後、グローバリズム清算が行われ、社会主義の崩壊のような大激動の時代が現出しようとしています。これはまた、人類史上に数千年に一度の大きな文明史的大変革なのです。それを明らかにするのがこの論考の使命です。



世界史は、「グローバル帝国」の時代から「真の独立国家」の時代へ

歴史的に、文明圏は帝国により成立しました。帝国の力がなければ、高度文明を発展させるための広域の秩序が維持できなかったからです。ヨーロッパは、キリスト教のグローバル文明圏を形成しましたが、ローマ帝国フランク王国神聖ローマ帝国スペイン帝国など、強大な帝国が支配しました。近世以降、ヨーロッパは世界に拡大し、南北アメリカオセアニア、フィリピン、アフリカ地域にキリスト教文明圏を拡大しました。



イスラム教のグローバル文明圏は、中近東、アフリカ地域を基盤に、ウマイヤ朝アッバース朝、ファーチマ朝、セルジューク朝オスマン朝などのイスラム帝国が広域を支配しました。15世紀以降は、アジアを東進し、バングラディシュ、インドネシア、マレーシアまで、イスラム教文明圏を拡大しました。



中華帝国は、秦、漢、唐、宋、元、明、清などの王朝が、少数民族や周辺国を従わせ、漢字、儒教道教、仏教などを基にする中華文明を広げました。韓国は中国に従属し、中国文明圏に属する国家でした。しかし、日本は中華帝国に従属しない国家で、独立を堅持してきました。あのモンゴル帝国の元が侵攻してきた時も、勇敢な武士団が果敢に跳ねのけました。日本は、強大な中華帝国が近くにありながら、国家主権を維持した独立国家でした。これは、人類史に稀なことなのです。あのイギリスも、大英帝国を形成する以前は、長くローマ帝国やバイキングの国家に支配されたのです。



また、アメリカは、ヨーロッパの植民地から出発し、イギリスから独立した国家で、今日、世界の覇権を握る国家になりました。独立後は、ヨーロッパの抗争に巻き込まれるのを嫌い、他国の政治に不介入主義をとりました。この国は、強力な国家でありながら、ヨーロッパ列強のような帝国を目指さなかった、実に稀な大陸国家なのです。このようなアメリカは「大陸独立国家」ということができます。



隣国の韓国は、長く中華帝国に従属してきました。しかし、理解すべきは、韓国のあり方が世界のスタンダードなのです。世界の諸国家、諸民族は、自ら、帝国になるか、帝国に服従するかの道を歩んだのです。特に韓国は、多くの侵略を受け、大陸の弱肉強食の苛酷な運命にさらされた国家でした。モンゴルの侵略と豊臣秀吉の文禄慶長の役で甚大な被害を受けましたが、それは韓国が要衝にある国家だったからです。中華帝国が日本を攻めるとき、韓国は通過しなければならない要衝地で、反対に、日本が中国を攻めるとき、韓国は通過すべき要衝地になるのです。



今日、韓半島を中心とする、中国、ロシア、アメリカ、日本のパワーゲームも、基本的に同じ構造です。このような韓国を「半島要衝国家」と呼ぶことにします。長く韓国は、反共を国是とする、しっかりと自由主義陣営に帰属する国家でした。しかし、今、この国は、文在寅・共産政権が立ち、共産グローバリスト国家といえる北朝鮮と中国に飲み込まれようとしています。この論考では、島嶼独立国家・日本と、大陸独立国家・アメリカが堅く手を握り、半島要衝国家・韓国を正しい道に戻るように働きかけ、アジア太平洋地域の安全を確保する道を探ります。



世界の歴史は帝国が主役でした。第二次大戦後、諸国は独立し、国家主権が重んじられ、各国が自主的に国家運営をし、発展する時代になったと思いました。しかし、世界に帝国はなくなりましたが、実質的に世界を支配するのは、国家を越えて暗躍するグローバリストたちでした。見える帝国から見えない帝国に変わったのです。トランプ革命によって開かれようとする新しい時代は、かつての歴史になかった、グローバル帝国が支配しない、真実に独立した諸国家の時代です。21世紀の世界は、少数のグローバリストが金で世界を動かす、見えない帝国を打ち砕き、諸国がしっかりした国家主権を有し、共生、共栄のために融和し発展する、真にインターナショナルな世界を創らなければなりません。まさに、反グローバリズムの勃興は人類史的挑戦なのです。

 

 

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何故、イエスは22億人を抱擁できたのか?ー体験のちからー

 

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何故、イエスは22億人を抱擁できたのか?

 

永田正治 (Masaharu Nagata )

 

 はじめに

つづけてスピリチュアリティーでは、消化不良を起こさないか心配になりまして、今回は宗教にいたしました。スピリチュアリティーの続きは5月10日ごろお届けしたいと思います。

 

 

哲学&宗教 

哲学と宗教が追求するものは、万有の原因的存在、世界と人間の存在意義、幸福の実現と善の実践などです。追求するものは同じでも、哲学や思想を学ぶ人は少数で、宗教を信じる人は多いのです。この差は何なのでしょうか。


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アテネの学堂

 

 

哲学と宗教のちがいを示す、ルネッサンス期の芸術作品があります。ラファエロの「アテネの学堂」は、プラトンアリストテレスを中心に、58人の哲学者や科学者が、議論し、あるいは書を読み、文章を書き、思索などをしている姿が描かれています。ピタゴラスプトレマイオスなど、人類の知的発展にすぐれた貢献をし、人々から尊敬される学者が集っています。

 



ここにいるのは高い知性をもつ人たちです。普通の人は、彼らの輪に入ってゆくことはできません。これは現代も同じで、哲学や思想について学問的に論じられる人は、千人に一人もいません。彼らはノーベル賞受賞者のような秀でた知能をもつ、極めて希少な人々です。

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ダビンチ「最後の晩餐」

一方、ダビンチの「最後の晩餐」は、イエスを中心に12弟子が描かれています。イエスの一番弟子ペテロをはじめ、主だった弟子は漁師でした。その他の弟子もユダヤ社会の指導階層や神学者はいません。むしろ、律法を知らない無学な階層の出身者、人々から嫌われた取税人とその兄弟などで構成されていました。

 



ここにいるのは普通の人やハンディーを負う人々です。そもそもイエス自身が、罪人として死に追いやられることになるのですから、社会的には全員が、犯罪者に従う愚か者ということになります。ラファエロの「アテネの学堂」の面々とはあまりにも開きがあります。

 



しかし、この12弟子のあり方は、誰でもイエスの弟子になれるということを意味します。エルサレムの片隅に追いつめられた一群は、今日、22億人のキリスト教信者に拡大し、世界最大の宗教を形成しました。宗教が偉大なのは、すべての人が参加できる、大きな輪であることです。

 



宗教が、このように多くの人を包括できるのは、信仰というものが、「知」ではなく「体験」で持てるものだからです。イエスは数おおくの奇跡を行いましたが、奇跡を見た人は驚くべき体験をした人々です。弟子たちはいきなり強烈な体験をさせられました。ペテロや漁師の仲間は、イエスの言葉に従って網を下ろしたら大漁になり、この人は普通の人ではないと思い従いました。高い知性をそなえたパウロでさえ、イエスを信じるようになったのは「教義的知識」ではなく、まぼろしを見、イエスの声を聴いた「宗教的体験」だったのです。





体験は知を包括 

 

 仏教の知も「悟り」を得るための叡智で、現実的な知ではありません。悟りを得るためには、瞑想、座禅、念仏など、宗教的体験を積み重ねなければならないのです。

 



日本を代表する哲学者西田幾多郎は、「神は我々の自己に心霊上の事実として現れるのである。神は単に知的に考えられるのではない。単に知的に考えられるものは、神ではない」と言っています。西田も宗教を知るため座禅をしました。宗教を真に理解するには、心霊上の事実、すなわち「宗教的体験」が必要なのです。

 



人類は旧石器時代、死者を埋葬するとき、花などの副葬品を埋めた形跡があり、すでに宗教意識が生まれていました。文明以前に宗教はあったのです。宗教心とは、森羅万象にそなわる真・善・美に霊性を感じ、生活で遭遇する神秘的体験が加わり、人の心に自然に生まれるものではないでしょうか。文明が開始しても、多くの人々は文字も読めず、信仰とは、神聖なものを拝み、祈り、願をかけるという「体験」の日常化でした。

 

 


そもそも、仏教の受容も、仏像の慈悲深い姿を見てありがたく感じたからです。戦国時代のキリシタン信仰も、人々がキリスト教の祈り、聖歌、十字架、ロザリオ、聖像などが発するつよい神秘に打たれ爆発的に広がったのです。あの恐ろしい織田信長やしたたかな豊臣秀吉も、カトリックグレゴリオ聖歌を聞いて感動しました。秀吉は、3度もリクエストしたそうです。これも立派なキリスト教体験です。

 



人は、体験で親の愛を知ります。同じように、神の愛を知るのも体験なのです。宗教者にとって「知」は、「体験」に包括されます。知は必要ですが、その「知」はむしろ、「知識」で捉えられない「目に見えない霊的価値」を悟ることができる「知」です。僧侶は、経をあげ、あるいは禅を組み、苦行することなどによって信仰を深めました。「体験」がもっとも重要で、「知」は信仰をささえる一要素なのです。





ささいな体験が貴い種に 

また、「宗教的経験」は、熱心な人のみができる難しいものだけではありません。仏教者は、人と仏教のささいな出会いも「仏縁」として大事にします。これは小さな体験も貴い種になるという優れた智慧です。

 



おなじように、宗教はさまざまな「方法」を講じ、あるいは「もの」を通じて、信者に宗教的体験を提供します。礼拝などの集会、儀式、祝祭、聖地巡礼、出版物やインターネットなどによる教育や情報提供、また、お守り、置き物、絵画、写真などの「スピリチュアルグッズ」、数えたらきりがありません。サンクチュアリ教会もおなじです。

 

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荒削りだが親しみがある円空仏

 

昔も、寺社が発行する「お札」が信仰を育みました。修行をつんだ僧侶や修験者などが各地を巡り配るお札は、霊験あらたかと尊ばれました。一方、円空は、諸国をめぐり自分が削った12万体の仏像を庶民に配ったのです。

 



伊勢参り善光寺参り、初詣、もっと言えば旅行も宗教的体験になります。お寺に足を踏み入れれば、仏教とは何かを感じることができます。教会に入ったら、キリスト教信仰の深みを感じます。

 



体験は、信仰の初歩であり導き手です。体験をきっかけに信仰をもち、体験を通じて神のはたらきを感じ、神とともに生きるようになるのが信仰の成長です。

 



西田幾多郎「単なる理性の中には、宗教は入ってこないのである」と述べ、宗教と哲学に関しては、「宗教的意識というのは、我々の生命の根本的事実として、学問、道徳の基でもなければならない。宗教心というのは、特殊の人の専有ではなくして、すべての人の心の底に潜むものでなければならない。これに気づかざるものは、哲学者ともなり得ない」と断じました。

 



宗教的意識は生命の根本であり、すべての人が生まれながら備えています。ですから、すべての人が、難解な「知」ではなく、誰にでもできる「体験」で、宗教という素晴らしいものを手に入れることができるのです。

 



人との交流も同じです。「知」で自他を分別したら対話は成り立ちません。他者の「体験」を尊重し、その体験をさせた、偉大な神の愛を中心に交流するものです。

 




ここで一旦、宗教、スピリチュアリティーから、日本の国家戦略構築に移ります。平成最後の日である30日にスタートいたします。テーマは、島嶼独立国家・日本 -グローバリズムと戦う日本文明論-」です。難しいテーマですが分かり易く解説するよう努めます。お付き合いいただければ感謝です。

 

 

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宗教者の苦悩とスピリチュアリティ―

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宗教とスピリチャリティーは異母兄弟

 

永田正治(Masaharu Nagata)

 

●はじめに

宗教者にとって、スピリチュアリティ―は理解が難しい。しかしそれは、異母兄弟のような関係なのです。今回はその解説を試みます。

 

 

宗教意識の変化

私たちは、地球がまるいことを知り、太陽系に属し、更に150億光年という大きさの宇宙空間が広がっていることを知っています。気象変化や地震発生のメカニズムを知り、細菌やウイルスが病気を引き起こすことも知っています。

 

 

しかし、科学が発展する前の人々は、そんなことは知りませんでした。そのため、世界を神話的、宗教的に理解するしかなかったのです。一神教圏の人々は、世界は神が創造したと信じ、アニミズム宗教圏では、自然に神が宿っていると信じました。天変地異は神の怒り、病気は悪鬼の仕業と考えたのです。福の神、怨霊、そして魔女は架空の存在ではありませんでした。昔の人は、現代人には想像できないほど宗教的だったのです。その素朴な宗教心は、高度な教えをもつ世界宗教により、大きな信仰集団としてまとめ上げられました。

 

 

ところが、科学の発展のおかげで、生活の安楽や医学の進歩という大きな恩恵を受けるようになると、人々は科学を崇拝し、素朴な信仰心は非科学的なものとして排斥するようになりました。思想的には世俗主義と、宗教をアヘンとする共産主義が広がり、人々の宗教離れが進んだのです。宗教を考えるには、この、悠久の「宗教の時代」と、近代の「科学の時代」を踏まえなければなりません。

 

 

しかし、20世紀の70年代頃から、宗教には再び巨大な地殻変動が起きました。科学の限界と発展にともなう弊害が明らかになり、唯物的共産主義も後退し、人々の考えは次第に宗教回帰しはじめたのです。神や仏、死後の世界、輪廻転生、超自然現象を信じる人が増え、いまや「宗教」は、価値観の主流に戻りつつあるかのようです。

 

 

 

スピリチュアリティ―の台頭と教団宗教の悩み

問題は、人々の宗教心が復興しても、従来の「教団宗教」に戻ってきた訳ではないということです。現代人の「宗教」は、昔の「宗教」とかなり変わってしまいました。スピリチュアリティー、占い、ヨガ、瞑想法、宗教的なテレビ番組、映画、ゲーム、また、妖怪、都市伝説、ホラーなど、社会には「宗教的」なものがあふれています。

 

 

人々はこのような「スピリチュアリティ―・広義の宗教」を求めて、それで満足しているのです。単純に、「教団に入信することが宗教をもつこと」ではなくなりました。ここ数十年のあいだに「宗教」のあり方が劇的に多様化したのです。そして、宗教者は、それが何なのか判断できません。宗教者はこの新事態のなかで、社会における宗教の位置や意義を見失いました。その状況は、宗教者に、深刻なアイデンティティーの危機をもたらしていると言えます。

 

 

正体の知れない「宗教」が氾濫する現代は、唯物主義が強かった時よりも、むしろ伝道が難しい時代になりました。宗教者にとって、科学万能時代に宗教を主張するほうが、反宗教に立ち向かうという二極構図で、やり易かったのではないでしょうか。このように、現代社会は、「宗教とはなにか?」が難しいテーマになり、宗教の大混乱期にあるといっても過言ではありません。

 

 

「どこまでを宗教と捉えるか?」は人によって違います。教団宗教以外は宗教ではないという立場もあるでしょうし、宗教的なものを含んでいるものは、宗教のひとつと考えるべきという立場もあるでしょう。ともあれ私たちは、今までの宗教が経験したことのない、混沌とした宗教的環境のなかで生き、宣教しなければなりません。

 

 

 

科学と東洋思想の融合

意外にも、スピリチュアリティーの背景には、科学の発達があります。アインシュタインなど世界的な物理学者が、世界の本質は探れば探るほど、東洋哲学に近づくと言っています。

 

 

20世紀を代表する理論物理学者のひとりであるデヴィッド・ボームは、宇宙は目に見える宇宙(明在系)と、目に見えない宇宙(暗在系)からなり、暗在系宇宙は、素粒子が霧のような状態に渾然一体をなしており、そこには、「自他の区別がない」という仮説を立てました。スピリチュアルな理解では、明在系宇宙が、現世という自我を持って生きる仮の住まいで、この暗在系宇宙こそ、完全調和の、無我で生きる霊的世界だと考えることができます。

 

 

このように、現代科学はスピリチュアリティーを肯定する傾向があります。先進科学と東洋哲学は、「無」、「空」、「広大無辺な宇宙観」、「全ての存在はつながっている」などという世界観を共有し、互いに引きつけ合うものなのです。

 

 

このようにスピリチュアリティーは、科学的な成果と、仏教や老荘思想などの東洋思想をはじめ、キリスト教や、霊的な宇宙人に至るまで、様々な「宗教」を取り入れています。そして、排他性がなく、他と壁を置かないので、探究者は各種の書籍を自由に読み、ユニークな精神世界をつくっています。巨大なスピリチュアル・ワールドは、入口が多く、性格もさまざまで、系統で分類するのは容易ではありません。

 

 

あまりに多様なので混沌とした印象も受けますが、おおくに共通するファクターをとりあげ特徴をまとめて見ましょう。

 

 

① 現代はアセンションという霊的覚醒の時代に突入し、人々の魂が急速に進化している。

 

② 人類は、「宇宙の心」(神)とつながらなければならない。

 

③ 思いは現実化し、引き寄せの法則で、自分の心に合った周辺環境がつくられ、自分と似た心を持つ人が集う。

 

④ 偶然というものはなく、全ての出来事には何らかの意味があり、人は、偶然と思われることの背後にある、シンクロニシティ(共時性・同時性)に気づくことが重要。

 

⑤ エゴというネガティブな波動エネルギーを避けなければならない。

 

⑥ 宇宙の霊的エネルギーを受容し、明るく積極的な思考を持つべき、などです。

 

現代が宇宙史のなかで特別な時代というのは、多くの宗教もおなじです。スピリチュアリティーは、一刻も早く人々が、宇宙精神(神)が、ご自身の理想実現に向け世界を導いていることに気づき、新時代の到来に合わせ霊性を高めなければならないという、未来志向的な終末思想をもちます。

 

 

宗教とスピリチュアリティーは「異母兄弟」

スピリチュアリティーの主張は、ニュアンスの差はあっても教団宗教と重なります。しかし、宗教間対話のような、教団宗教とスピリチュアリティーの交流はありません。両者には大きな違いがあるからです。

 

 

それは「指導者」のあり方がちがうのです。教団宗教の教祖は、教えを説き、弟子を導いて、必ず、「信仰共同体」の形成を目指します。教祖の教えは教団の教義、指針となり、死後には生前より篤い崇拝を受けるのです。

 

 

一方、スピリチュアリティーの提唱者は、ひとりの啓蒙者、霊能者で、教団は創設せず多くの人を組織することはありません。しかし反対に、教団を越えた、「大衆的影響力」を持つことができます。

 

 

教団宗教は、経典を学ぶこと、信仰をともにする教友と交わることが重要です。また、大衆に発信することよりも、外には伝道、内には信仰教育を行い、信仰が子孫に継承されることを重んじます。教団宗教は、「数千年もつづく精神的共同体の形成」をめざし、スピリチュアリティーは、「現代における精神的啓蒙」をめざすものです。

 

 

すなわち両者は、「父である宇宙精神」は同一の存在で、おなじ目的をもちますが、「母である提唱者」が、教祖か啓蒙者かという決定的違いがあり、主張の伝播方法も異なるのです。

 

 

わたしたち教団宗教が、大衆的発信力を高めるには、スピリチュアリティーから学ばなければなりません。それには、宗教者がスピリチュアリティーの人々と交わり、「宗教」を越え、スピリチュアリティーをふくめた「精神世界」にまで関心を広げることが求められます。「異母兄弟」のように似ている両者は、人を幸福にするという本来の目的を達成するため、交流、協力を進めるべきです。

 

 

 

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宗教とUFО・宇宙人

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人類は宇宙の創成について共通見解を持つに至っていない。

 

 

永田正治(Masaharu Nagata)

  

●はじめに

今から3回、スピリチュアリティ―に関してお伝えします。スプリチュアリティーは、「広義の宗教」、あるいは「宗教的な文化」ということができます。現代文化はスピリチュアリティ―抜きに語れません。アニメのテーマなど、ほとんどスピリチュアリティーといえます。伝道していて、スピリチュアリティ―に関し話す必要に迫られることもあるでしょう。ここでは、私たち宗教者の立場から、スピリチュアリティ―をどう捉えればいいか論じます。まず、説明より、ずばり、具体的なテーマを紹介しましょう。UFO・宇宙人についてです。次回に、スピリチュアリティ―について説明します。



宗教的な宇宙人

 

 UFOや宇宙人と言えば、SF小説にあらわれる、未来科学的な仮想存在でした。ところが最近は、スピリチュアリティーや宗教の一部で、宇宙人が科学力とともに、強力な霊能力をもつ存在とみて、近未来に、人間と接触し、人類の科学と霊性が飛躍的に高まる時代が到来すると主張します。テレビでも、UFOと遭遇するために、呪文や祈祷をしますが、これは宇宙人が、人間の霊的、宗教的行為に反応する存在と想定していることを示します。



多くの宗教者は「霊」は実在するが、「宇宙人」は架空の存在と感じていると思います。論じるに足りないと即座に否定する人も少なくないでしょう。しかし、今日、UFO・宇宙人を肯定する傾向は無視できず、宗教者はそれについて考え、論じる必要があります。



そもそも、宗教にとってUFO・宇宙人というテーマは扱いにくいものです。宗教では高度な知性をもつ存在は限られます。キリスト教では「神・天使・人間」多神教では最高神・神々・人間」、仏教では「諸仏・諸神・人間」です。人間以外は肉体をもたない、目に見えない存在で、肉体をもち、高度な知性をもつ存在は想定しません。ながく宗教者にとって、UFO・宇宙人は想定外の存在です。



銀河帝国の興亡」や「アイ・ロボット」を書いた、ユダヤ系の生科学者でありSF小説の巨匠アイザック・アシモフは、「UFOなどを信じる人の気が知れない」と強く否定しました。「銀河帝国の興亡」は、遥かな未来、銀河系宇宙に高度な文明が無数に存在しますが、そこに住む「宇宙人」は、地球から移住した人々で、人間ならざる宇宙人の存在は想定しません。一方、スターウォーズやアニメのドラゴンボールなどは、人間ならざる宇宙人が登場します。昆虫や動物が進化して、高度な知的存在になったという想定です。



ふつう宗教は、人間と自然界から成るこの地球のあり方が、神の創造の「基本デザイン」と考えます。しかし、昆虫や動物が進化した、人間ならざる宇宙人が存在するならば、宇宙には私たちの世界と大きく異なる世界が存在することになり、地球のあり方が神の基本デザインとは言えなくなります。そのため、宗教者にとって、人間ならざる宇宙人の存在は想定しにくいものです。

 

 

宇宙・霊界・宗教

ビッグバーンから200億年という宇宙的時間からいえば、人類文明はわずか5000年あまりという「瞬間」です。すなわち、宇宙の途方もない時間のなかで、おなじ今の「瞬間」に、高度な文明をもつ生命体が存在し、人類がそれと出会うこと自体が、確率的に困難といえます。いたとしても、150億光年という天文学的な広さをもつ宇宙空間を飛行して地球に来ることが可能かという問題があります。秒速30万キロですすむ光が、一年で到達する距離が1光年です。その150億倍が宇宙の大きさです。ふたつの高度文明は、無限ともいえる宇宙的スケールの時間と空間のなかで、極小の接点で出会わなければならないのです。まさに「アマゾンにいるアリが、一分以内に北海道にいるアリに生きて会う」以上の困難さがあります。



この広大な距離を飛び越えるため、ワープという、空間のゆがみを利用して瞬間移動する宇宙航法を想定します。しかし、広大な宇宙空間を克服できたとしても、悠久の宇宙時間も克服できなければ、文明が出会うのは途方もなく困難なことです。



そのため、時空を超越した「霊界」、あるいは「四次元空間」を通過して、宇宙人が地球に到来するとしています。霊界や四次元空間は、時間と空間を超越した世界と考えられますから、論理的には可能です。



しかし、科学の力で時空を自由に超越できたら、そもそも時間と空間の制約のなかにある、この世界の存在意義とは何なのか。とくに時間の問題では、タイムマシーンで、過去や未来に行き、自分の過去や将来、世界の歴史や行く末を勝手に編集できたら、私たちの人生や人類の歴史の意味が失われてしまいます。



実はこれは哲学の議論の対象になってきた問題です。日本を代表する哲学者、西田幾多郎は、時間は不可逆だと言っています。時間は不可逆、不可超越で、「今」が、先端にある唯一の時間的世界であり、神、人間、自然界、全ての存在が、おなじ「今」という時間を共有しているのではないでしょうか。


エスや釈迦、孔子など多くの聖人も、時空を超越した存在だったわけではありません。時空の制約の中で生き、自分の未来すら明確に知ってはいませんでした。私たちとおなじ短い人生をあゆみ、そのなかで濃厚な愛と慈悲の実践をし、永遠に変わらない不変の真理を教えた人々です。



宗教は過去にポイントをおく

UFO・宇宙人を精神世界と結びつけて論じる姿勢は、既成宗教の枠を越えた、「未来志向」の宗教観と見ることもできます。しかし、宗教における「未来志向」は、過去の克服が前提になります。宗教は、この世が不完全であるかぎり、過去から引き継いだ、因果の宿命と戦うことに意味があり、苦しみの甘受、自己犠牲による罪の贖いなどが求められます。


三大聖人は皆、2000年以上前の人で、献身的、犠牲的人生をおくりました。宗教とは、過去の聖人の教えを大きな光源とし、現在に生きる私たちがその光を受けとめ、未来へ反射させるものです。宗教はまず、過去を踏まえなければなりません。宗教者が伝統を固く守り、過去を忘れないようにするのもそのためで、遠い過去に書かれた教典を学び、お坊さんは髪を剃り、袈裟を着ます。



宗教者にとって、科学と霊能をもつ宇宙人と交流し、宗教と世界の新しい時代が開かれるというのは、なかなか理解できない未来像です。むしろ、人間がおかした過去のあやまちと間違った価値観を、聖人の教えで悔い改めることによって、宗教と世界の新しい未来が開けると考えます。過去の問題を解決するのが宗教の大事な使命です。



「宇宙時代」へのコミュニケーション

いろいろ論じてきましたが、UFO・宇宙人問題は難しい議論です。人間は、いまだに死んで霊界に行くのか、輪廻するのかという問題すら結論を得ていません。自分の死後もはっきりしないのに、UFOや宇宙人のことが分かるはずがありません。UFO専門家である矢追純一氏も、UFO・宇宙人のあり方は、きわめて複雑で混乱していると指摘するように、この問題は簡単には結論づけられないものです。


宗教者の多くは、UFO・宇宙人は霊的存在ではないかと考えています。一方で、UFO現象は多くの人が目撃するとともに、UFO・宇宙人の実在を信じロマンを感じる人もたくさんいます。



今日、宇宙開発はすすみ、人類は宇宙に進出し、いつかは「宇宙時代」が到来します。アシモフが想定したように、未来の宇宙には、人間が移り住み人類文明を拡大するのか、それとも、人間ならざる宇宙人と遭遇し、彼らの文明と共存するのか、という二つの未来図を描くことができます。こんな「宇宙時代」の様相について様々に議論するのは面白いことです。



「UFO・宇宙人否定派」は、肯定説を荒唐無稽と感じ、「肯定派」は、否定説を頭が固いと感じるでしょう。認識は食い違いますが、双方が相手をバカにしないで真摯に議論すべきです。そうすれば、新しい、良いものが生まれてきます。とくに、宇宙的スケールの世界観をもつ、「法華経」を学ぶ宗教者は独自の見解があると思います。UFO・宇宙人問題は、「輪廻か霊界か?」のように、異宗教コミュニケーションで自由に語り合うことができる興味深いテーマです。 

 

 

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