サンクチュアリ通信BLOG 平和戦略

世界平和戦略、日本の国家戦略から、宗教、歴史、政治など、さまざまな分野を幅広くあつかうBLOGです。 分かりやすく、面白い、解説に努めます。

韓国と日本・仏教伝来の根本的ちがい

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韓国の仏教受容は中華帝国の影響のもとに成された

島嶼独立国家・日本 -グローバリズムと戦う日本文明論-7》 

 

永田正治 (Masaharu Nagata )
             

 

●仏教、東アジアへ

 

仏教は紀元前3世紀の中ごろ、マウリヤ朝アショカ王に保護されインド全域に広がり、海を渡りセイロン島まで伝わりました。マウリヤ朝滅亡後には迫害期や停滞期もありましたが、2世紀にクシャン朝のカニシカ王に保護され、ガンダーラ美術を生みだすような全盛期を迎えました。仏教はインドのふたつの帝国に受容され、帝国領と周辺に伝わったのです。

 

 

西域(中央アジア)から中国への伝播は、数百年をかけインドや西域の僧、仏教を学び経典をもち帰るために西方におもむいた中国人求法僧たちによって成されました。ながい時間を要したのは、現世超越的なインド的思想世界と、現実的な中国的思想世界の乖離という問題もありますが、西域と中国を隔てる厳しい自然条件により、両地域の交流は困難を極め、西域の仏教受容国が、中国への仏教伝播に影響力を行使できなかったことが主な理由です。

 

 

4世紀になり、仏教は五胡十六国時代の中国で隆盛し、中華帝国の直、間接的影響により周辺に伝播し、4世紀後半には朝鮮半島に伝わりました。朝鮮三国のうち、中華帝国の強い影響下にあった、高句麗百済の仏教受容は順調に行われましたが、中華帝国の影響外にあった新羅に至り、強い反対に遭遇しました。中華帝国から遠く離れ、政治的影響力が全く及ばない日本では、仏教受容をめぐり大戦争が勃発したのです。

 

 

アジアにおける仏教受容も、帝国の役割が重要で、朝鮮半島と日本の仏教受容のあり方を見るとそれが明確になります。平和のうちに進行した仏教東漸が、新羅、日本に至り、大きく様変わりしたのです。この受容のあり方のちがいは、国家における世界宗教受容が何によって決定的影響を受けるかを教えます。

 

 

先にあげた、「世界宗教はそれを受容した帝国の影響力が及ぶところでは順調に伝播した」、「その世界宗教を受容した帝国の影響力が及ばないところでは伝播に困難が伴った」という仮説は、東アジア地域の仏教受容にも適用できるのです。

 

 

 

●何が朝鮮三国に仏教を受容させたのか?

 

 

仏教公認 ‐ 歓迎と殉教

 

古代朝鮮三国における仏教受容の過程を見てみましょう。中華帝国と国境を接する高句麗は、372年に北朝前秦から、僧の道順が派遣され仏教が伝来しました。小獣林王はこれに謝意を示す使節をおくり、道順に子弟の教育をさせます。まさに国を挙げて仏教を歓迎したのです。この王は、仏教だけでなく律令頒布、大学設立など、中国の諸制度を取り入れ、王権を強化し、広開土王時代の発展の礎を築きました。

 

 

中華帝国海上交流を行なっていた百済は、384年、南朝東晋からインド僧マラナンダがやって来て仏教を伝えました。枕流王はすぐにマラナンダに帰依し、なんと、王宮に、マラナンダを住まわせるという格別の待遇で迎え、寺院を建立し、10人の百済人を出家させました。百済は、高句麗以上の敬意をはらい仏教を受け入れたのです。

 

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新羅のイチャドン殉教の場面

 

それに対し、新羅の仏教公認は、高句麗百済と国境を接するにもかかわらず、約150年も遅れました。527年、法興王は仏教受容の意向を臣下に諮りましたが、仏教徒であるイチャドン(異次頓)のみが賛成し、他の全員が反対したのです。『三国史記』では、イチャドンがみずから望み殉教したとき、その首を切った瞬間、胴体から白い液体がほとばしり出るという奇跡が起こり、人々は驚愕し、反対を止め、法興王はようやく仏教を公認できたと伝えます。新羅の仏教受容は、大歓迎で受け入れた他の二国とは異なり、殉教という犠牲がともなったのです。

 

 

●仏教受容の国際関係

 

朝鮮三国の仏教受容の背景を考えてみましょう。高句麗の仏教受容は、中華帝国との正式外交として成されました。その前年、高句麗は、故国原王が百済軍との激突で戦死するという悲劇に見舞われました。強敵百済の脅威に直面する状況では、宗主国前秦との関係は何にも優先する重大事で、小獣林王は仏教を拒絶せず、積極的に受容する選択をしたのです。高句麗の仏教受容は中華帝国と友好関係を強化し、律令制導入と大学設立を行ない、国力を強化することによって、百済との競争に優位に立とうとする、内外政策と結び付いて成されたのです。

 

 

百済の仏教伝来は、中華帝国との正式外交ではありませんでしたが、マラナンダ渡来の2ヶ月前、東晋朝貢しており、その際に僧侶派遣を依頼した可能性があります。中華帝国との外交関係が、仏教伝来の背景にあったことは間違いありません。

 

 

百済高句麗との対決上、東晋との関係は損なえません。すでに高句麗は仏教を導入し、国家制度を改革し、国力を充実させています。宗主国である東晋と、競争国高句麗で仏教が受け入れられ篤く信仰されている状況で、マラナンダが東晋から渡来して来たのです。この僧侶と仏教をどう処遇するかは、国家の命運を左右する問題であり、百済は積極的に仏教を受容する決断をしたのです。マラナンダを王宮に住まわせるという最大級の処遇は、明らかに、高句麗の仏教受容を強く意識した行動です。

 

 

当時の仏教とは、中華文明を背景とし、学問、芸術、建築などの諸文化をともなう体系で、仏教受容は中国との思想的、政治的なつながりを強めるとともに、自国の文化水準を高め、国力を増強させます。高句麗百済の仏教受容は、中華帝国の政治力と文明力が背景となるものだったのです。

 

 

一方、新羅の仏教導入は、中華帝国とは無関係で、法興王の発意によるものでした。新羅高句麗百済の二国にさえぎられ、中華帝国との交流ができなかったのです。弱小国であった頃に、高句麗使節に従って前秦朝貢したことがありますが、顔見せ程度のものに過ぎませんでした。

 

 

中華帝国との交流は、それに携わった人々にアジア世界に対する豊富な知識を与えます。中国と国交のあった高句麗百済の支配勢力は、仏教がアジアで広く信奉され、受容は避けがたい潮流であることを認識できました。中国との交流がほとんどなかった新羅支配層は、大陸での仏教をめぐる情勢を感じ取ることはできなかったのです。

 

 

法興王が仏教導入を推進したのは、君主として、諸外国の動向を注視していたからです。王は仏教受容に先立つ七年前、律令を頒布するほど中国を意識し、その制度を取り入れることに積極的でした。高句麗百済が仏教受容を契機に、中華帝国と関係を深め、文化と国力を発展させている状況を知り、新羅も仏教導入が必要だと判断したのです。新羅の仏教受容は、中華帝国との関係によって成されたものではありませんが、その間接的影響と言えるでしょう。

 

 

朝鮮三国の仏教受容は、中華帝国を中心とする国際関係と諸国の対立関係、そして内政改革が絡み合う、国家の生存戦略の一環であったのです。それはヨーロッパにおけるキリスト教西アジアイスラム教の受容とも類似し、世界三大宗教の受容に、帝国の影響と国家の生存戦略という要素が同じように深く関っていたことが分かります。

 

 

次に、中華帝国から独立していた日本の、波乱にとんだ仏教受容について考えてみたいと思います。

 

 

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日本の宿命・「脱亜」か「入亜」か?

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戦国時代は最初の「脱亜の時代」であった


            

島嶼独立国家・日本 -グローバリズムと戦う日本文明論-6》

 

 


永田正治 (Masaharu Nagata ) 

 

 

●脱亜という文明の挑戦 -戦国脱亜・明治脱亜-
 
日本の歴史は、西洋に接近した「脱亜の時代」と、アジアに接近した「入亜の時代」がありました。まず、脱亜の問題を、福沢諭吉の「脱亜論」から考えてみましょう。「脱亜論」は明治18年(1885)、「時事新報」に無署名の社説として発表され、48年後の1933年に、『続福沢諭吉全集2巻』に収録され、ようやく福沢の文章と知られるようになりました。

 

 

平山洋氏の研究(『福沢諭吉の真実』2004)によると、「脱亜論」が取上げられ、人々が関心を向けるようになったのは、なんと、戦後、それも1960年代の半ばからと指摘しました。一般に、「脱亜論」が「脱亜入欧」として日本近代化の論理になったような印象がありますが、実際は、この文章も、脱亜という言葉も、長く注目されなかったのです。

 

 

「脱亜論」を待つまでもなく、近代日本のあり方が「脱亜」そのものでした。福沢の「脱亜論」の重要な意義は、「脱亜」あるいは、「脱亜入欧」という優れた造語を世に送り出し、著者の意図を越え、この言葉が、近・現代日本の、アジア、世界との関り方について様々な問題提起をしたことです。

 


 
基本認識として、思想的に、また、国家の戦略として「脱亜」を選択することは可能です。しかし、地理的条件、人種的条件、また文明の根幹を変え、「脱亜」することは不可能なのです。

 

 

福沢自身、アジアに反発していても、徳川時代という「入亜の時代」に育った人物で、日本文明がアジア帰属することは自明のことでした。彼はその後、脱亜という言葉を使っていません。本気で「脱亜」を唱えるならこの言葉を頻繁に用いたはずです。「脱亜」という言葉は、彼が支援し朝鮮で進んでいた革新運動が、清軍と朝鮮の保守派によって無惨に阻止された甲申事件に怒った福沢が、無署名の社説中に使った、多分に感情的表現です。彼の知性ではなく感情が生んだ言葉です。

 

 

脱亜入欧という言葉が注目されたのは、戦後の、「高度成長期」でした。当時は、日本が目覚しく発展する一方で、冷戦下のアジアは危険で遅れており、日本人は欧米に目を向けアジアと距離を置く、まさに「脱亜の時代」でした。そのような中で、日本の近代化のあり方を論じるテーマとして、70年前の福沢の文章にあらわれる「脱亜」が取上げられたのです。

 

 

「脱亜」は、戦国時代末期、すでに経験した歴史現象で、脱亜問題を知るには歴史を紐解かなければなりません。本書の言う「脱亜」とは、西洋文明との遭遇による衝撃により、アジアから距離を置くことになる、日本人のアジア認識と国家戦略の転換です。それを可能にさせたのは、日本が自国の意思でアジアとの距離を設定できた国だからです。韓国のように、中華帝国の影響下に存在し、中華帝国との文明的、政治的繋がりが強固な国なら「脱亜」は不可能でした。

 

 

日本には、近世のはじめにヨーロッパの影響を受けた「戦国脱亜」の時代があり、近代に至り、欧米列強の影響を受けた、「明治脱亜」の時代がありました。日本は、戦国期と明治期に「脱亜」という文明の挑戦をしたのです。

 

 

●入亜という文明の深化 -古代入亜・元禄入亜- 

 

一方、「入亜」は、脱亜の反対概念ですが、ほとんど議論の対象になりませんでした。しかし、20世紀末から、アジアの伝統的大国である中国とインドが発展し、世界におけるアジアの比重が大きくなりました。そのような中で、「入亜」という見解があらわれ始めました。寺島実郎氏の『21世紀の潮流を見誤るな・〈親米入亜〉のすすめ』(2001)、また、陸培春氏の『〈脱米入亜〉のすすめ』(1994)などが出版されました。

 

 

この「島嶼独立国家・日本」シリーズでは、日本史の大きな歴史現象として「入亜」をとらえます。日本における「入亜」は、精神の改革、発展でした。それはアジア発祥の思想、宗教の伝来、受容というかたちであらわれました。古代における仏教受容と、江戸・元禄時代儒教の本格的奨励を、精神的「入亜」の時代と捉えることができます。それにより日本文明は、より高度なもの、より深化したものになりました。

 

 

日本人の思想、精神形成において、仏教、儒教の果たした大きな役割は、言及するまでもありません。私たちは常識として、仏教は百済聖明王から伝えられ、受容における聖徳太子の役割を重視します。儒教徳川家康儒教の教えを重んじ、幕府の官学としたと理解します。

 


しかし、重要な人物を忘れているのです。それは仏教の受容における蘇我馬子と、儒教の奨励における徳川綱吉です。本シリーズでは、この日本史の異端者といえる二人に焦点をあてます。そうすることによって、今まで、日本人が見なかった、見落としていた、日本史の真実が見えてきます。そして、これらの人物について考えることは、現代に生きる私たちが、反グローバリズムに立つ歴史観を形成するカギになります。

 

 

 

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イギリス国教会はエゴイストで冷酷なヘンリー8世によって創始された

 

 

 蘇我馬子織田信長徳川綱吉のラインの意味

 

今日までの歴史観は、蘇我馬子でなく聖徳太子織田信長でなく徳川家康徳川綱吉でなく徳川吉宗を尊重します。聖徳太子徳川家康徳川吉宗、このラインは、理想的で、日本人に尊敬と安心と親しみを与えます。いわば、私たちが見たい歴史の流れです。

 

 

しかし、蘇我馬子織田信長徳川綱吉のラインは、現実的で、私たちに、軽蔑と恐怖と束縛を感じさせます。いわば、私たちが見たくない歴史の流れです。しかし、仏教受容のキーマンは馬子、キリスト教を最も強力に保護したのは信長、儒教を最も強力に奨励したのは綱吉でした。この三人の役割をしっかり見なければ日本人の精神史の真実は語れません。

 

 

インドで仏教を受容したのは大量虐殺者アショカ王イギリス国教会を開いたのはエゴイストのヘンリー8世、中国で儒教を国教にしたのは恐怖の専制皇帝の武帝でした。宗教の受容はきれいごとではありませんでした。それが現実の宗教史です。なんのことはない、馬子・信長・綱吉は、世界においてはスタンダードな権力者なのです。反対に、聖徳太子徳川家康徳川吉宗のラインは、聖人と名君で、まさに、世界には稀な、日本的な歴史主人公たちです。

 

 

日本人が見たい歴史は、理想的で、尊敬でき、安心で、親しみを感じる歴史です。しかしこれは世界の歴史とかけ離れています。そこから、非武装中立論や、共産独裁国家の平和攻勢に騙されたり、外国の主張を安易に受け入れたりする甘さが表れるのです。世界史は、現実的で、利己的で、不安定で、拘束的なものでした。

 

 

馬子・信長・綱吉という歴史の流れを提起する理由は、日本史のなかに、世界のスタンダードな歴史があることを知って、日本人が「強靭な歴史観を持ってほしいからです。しかし、一方、彼らは、外国の圧力や影響ではなく、自らの自発的意思で宗教を受容、保護したのです。まさに、島嶼独立国家の宗教受容の特殊性が如実にあらわれる形をとりました。

 

 

これを正しく捉えることで、グローバリズムと戦う強力な歴史観を形成できます。すなわち、聖徳太子徳川家康徳川吉宗の流れで、よき日本史を感じ取り親しみを持ち、そして、蘇我馬子織田信長徳川綱吉の流れから、厳しい日本史を感じ取り、緊張感を持つことができるのです。次回から、新しい観点から見た、日本の宗教受容史を考えてゆきたいと思います。

 

 

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5.25トランプ大統領来日歓迎《反グローバリズム・奇跡の指導者》

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トランプ大統領は「神の摂理」・馬淵睦夫氏

 

 

永田正治 (Masaharu Nagata ) 

 

 

25日に来日するトランプ大統領を心から歓迎いたします。この第45代アメリカ大統領の登場は奇跡というしかありません。世界でいったい何人の人が、トランプ候補当選を予想したでしょうか。メディアは圧倒的にヒラリー候補当選を予測しました。新聞社の出口調査もヒラリー当選を示していましたが、見事に外れました。それは、メディアがあまりにもトランプ候補を批判するので、かなりの数の有権者が、周囲を気にし、ヒラリーに入れたと答えながらも実際はトランプに票を投じていました。これも異例の事態で、多くのアメリカ人がメディアの扇動に乗らず、本音でトランプ候補を支持したのです。

 

 

しかし、トランプ候補勝利の条件は備えられていました。高岡望氏のアメリカの大問題-百年に一度の転換点に立つ大国-』は、現在、アメリカは三つの大問題に直面し、百年に一度の転換期にあるとしました。そして、第一に掲げた大問題が、格差移民の問題です。アメリカ国民を分断している極端な格差、そして移民問題、これこそグローバリズムの時代が生んだ惨状なのですが、多くのアメリカ人はグローバリズムが原因であると気づいています。トランプ候補はそれを徹底的に批判しました。

 

 

反対に、ヒラリーは批判できません。理由は簡単です。そもそも、彼女自身がグローバリストであり、それを推進してきたグループの一員だからです。高岡氏の本は投票日より4か月前の2016年6月に出版されましたが、トランプ候補が当選することによって、高岡氏の歴史認識が正しかったことが証明されました。すなわち、アメリカが抱える困難な問題を解決するため、百年に一度の革命を成すためにトランプ大統領は登場したのです。

 

 

トランプ大統領登場の影響は、アメリカだけでなく、世界に波及しています。日本を憂う保守派の人々は、ながく絶望的な状況の中で、日本の再生を叫んできました。日本を亡国に導くグローバリズムの問題を指摘しても、耳を貸す人々は少なく、反グローバリズムなど少数派の戯言扱いされました。しかし、トランプ大統領の登場によって、状況は一変しました。アメリカからの大きな僥倖で、日本の未来も明るい光が差し始めたのです。

 

 

馬渕睦夫氏はそれを神の摂理と言い、加瀬英明氏は「神からの贈物」と言いました。保守の有力なオピニオンリーダーがこんな賛辞を贈るほど、トランプ大統領の登場は日本にとって画期的な出来事だったのです。昨年の10月には、ブラジルで反グローバリズムのボルソナロ政権が誕生しました。つい今月の19日には、オーストラリア総選挙で、トランプ大統領反グローバリズム思想と福音主義の信仰を同じくする与党のスコット・モリソン首相が、敗北必至が予想される中、トランプ勝利のような、奇跡的勝利をおさめました。反グローバリズムの潮流は燎原の火のごとく世界に波及しています。

 

 

アジアに目を向けましょう。オバマ前大統領は、アメリカ史上、かつてない優柔不断で無責任な外交を繰り広げ、中国は周辺に拡大の歩を進め、中東は大混乱に陥りました。アメリカは、「戦わない軍事大国 (日高義樹.2016) 」と見られ、強力な軍事力を持っていてもそれが侵略の抑止力になりませんでした。

 

 

しかしトランプ大統領は、中国や北朝鮮、イランに対し、アメリカや同盟国に対する挑発に対し断固たる態度を示すことによって、これらの国の策動を阻止しました。特に、昨年の10月4日、ペンス副大統領が中国に対し、宣戦布告のような強烈な警告を与えました。まさに、チャーチルの「鉄のカーテン演説」に譬えられるような歴史的スピーチです。世界の反中国・自由運動の人々は歓喜しました。これには中国も震え上がったことでしょう。今や、アメリカにおいては、民主党も強硬な反中国の立場をとるようになりました。 

 

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日本はトランプ大統領と共に反グローバリズム革命を成すべきです


ところが、日本はどうでしょうか。安倍首相が中国の拡張政策に対抗してきましたが、残念なことに、自民党のなかにも、親中派といわれる人物がいます。トランプ大統領は、ますます、中国、さらには、北朝鮮に追従している韓国に対し明確な牽制サインを示しています。トランプ大統領来日を契機に、日本の政界は世界の新潮流を正しく受け止め、覚醒しなければなりません。

 

 

高岡氏が言われるように、トランプ大統領アメリカにおいて百年に一度の革命を実行する大統領です。革命の抵抗勢力はグローバリストです。トランプ革命の進展とともに、グローバリストは人々から見放され、分裂し、勢力を弱めるでしょう。この島嶼独立国家・日本-グローバリズムと戦う日本文明論-」シリーズでは、トランプ革命の要諦は、見えざるグローバリズム帝国を崩壊させることだと定義しました。ながく、人類史は帝国が君臨してきました。第二次世界大戦後、諸国は独立し、帝国の時代は終焉したかのように思われましたが、グローバリスト帝国という見えざる帝国が世界を支配するようになりました。

 

 

トランプ大統領は、このマネーの力と巧みな陰謀で世界を支配するグローバル帝国を打ち倒す指導者です。また、中国は、グローバリストによって育てられた傀儡の帝国です。日本はこの中国共産帝国の脅威に直面しています。日本はトランプ大統領と堅く手を握り、中国の侵略野望を阻止し、さらに進み、世界をグローバリストのくびきから解放する歴史的使命を果たさなければなりません。

 

 

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ローマ帝国の大迫害とキリシタン大殉教の類似要因

     

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歴史は、後ろ盾のない宗教は迫害された事実を伝える

島嶼独立国家・日本 -グローバリズムと戦う日本文明論- 5》



永田正治 (Masaharu Nagata )

 


●はじめに

 

前回、世界の宗教受容は、帝国の力によって達成された場合が多かったと論じました。島嶼独立国家・日本は、帝国の力が及ばない国でした。しかし、仏教、儒教キリスト教を受容しました。すなわち、日本は、宗教を、帝国の力でなく、日本人の力によって受容したのです。そこには、高度な世界宗教の価値を認められる思想性、精神性と、既存宗教の激しい反対を押し切って導入した努力と苦難がありました。日本の世界宗教受容は、日本人の主体的意思と行動によるものでした。しかし、反面、諸外国の歴史と比べ、宗教の果たした役割は大きいとはいえません。むしろ、小さかったといえるでしょう。今日に至っては無宗教者が多数を占めます。日本は、自ら宗教を導入しましたが、宗教の存在は弱いというパラドックスがあります。これは大きな謎です。その謎の解明が今回のテーマです。

 


●「ローマ以来の迫害」の原因

 国家にとって世界宗教を受容する意義は重大です。どの世界宗教を、いつ、だれが主導し、どのように導入したかは、その国が置かれた地政学的条件と国家の権力構造に左右され、受容後は国家に大変革をもたらしました。日本は世界宗教受容のあり方が諸外国と異なっていたのです。

 

 

日本は、世界宗教の発祥地や世界宗教を受容した帝国から、海洋を介し遠く離れ、しかも帝国の政治的影響力が及ばないという地政学的条件を具えていました。そのため、帝国により受容を強要され、或いは帝国の意向を配慮するなど、帝国の影響力が作用して世界宗教を受容することはなかったのです。また、王権強化や敵国に優位に立つために世界宗教を導入するという動機もなく、王権が受容を推進しなかったため、伝来した世界宗教は既存の政治、宗教勢力の反対に直面したのです。すなわち日本は「帝国-王権-国民」という世界宗教受容の流れが成立しないのです。

 

 

6世紀、仏教百済から伝来しました。当時の仏教は中華帝国と朝鮮三国で篤く信仰され、インド、西域でも多くの人が帰依する宗教でしたが、日本では強い反発に遭遇し、崇仏派の蘇我氏と廃仏派の物部氏が対立し、朝廷を二分する戦争を引き起こしました。仏教隆盛というアジア世界の大趨勢といえども日本に決定的な影響を与えなかったのです。

 

 

戦国時代にキリスト教が伝わりましたが、「ローマ以来の迫害」と言われるほどの徹底したキリシタン弾圧が行なわれました。このような迫害が起こり得た理由は、ローマと日本のキリスト教をめぐる状況が似ていたからです。ローマの迫害は、多神教を信じるローマ帝国内に、一神教キリスト教信者が増えたことによって引き起こされました。キリスト教は帝国内に広がりましたが、外部の支援はありませんでした。たとえ周辺にキリスト教国家があったとしても、強大なローマ帝国の国策を変更させる力はないのです。

 

 

日本での迫害は、ヨーロッパ・キリスト教国家の影響力が及ばない国で信者が増え、それを根絶やしにするためになされたものです。遠く離れたスペイン帝国キリシタンの後ろ盾になることはできず、日本に影響力を行使する力はなかったのです。反対に、明治になり日本に西洋帝国主義列強の影響力が及ぶようになると、その圧力によりキリスト教は公認されることになります。

 

 

儒教は、6世紀に百済から伝来し学問として学ばれました。孔孟の教えは歴代中華王朝の国教であり、14世紀末には朝鮮王朝も統治理念としました。東アジア諸国の支配的宗教であっても、日本で統治理念になるには韓国よりも約300年おくれ17世紀末の徳川綱吉の時代まで待たねばなりませんでした。このように日本では世界宗教の伝播、発展は困難に直面したのです。

 

 

諸国における世界宗教の受容は帝国の影響力により、水が高い所から低い所に流れるように順調に、あるいは障害を容易に克服し達成されました。それと比較すると、日本で3つの世界宗教がそろって困難に遭遇したのは際立って異例なことです。

 

 

それは日本伝来時の世界宗教をめぐる状況が、世界宗教受容史の、帝国に受容される前の段階、すなわち帝国の保護を得られず、宗教者が逆境のなかで宣教する時代に一致していたからです。仏教はアショカ王に受容される前の段階、キリスト教はコンスタンチヌス帝に受容される前の迫害時代、儒教武帝によって国教とされる以前の段階に相当しました。すなわち日本は、世界宗教は受容した帝国の影響力が及ばないところでは伝播に困難が伴った」という条件をもつ国家に明確に当てはまったのです。

 

 

外来宗教に拒否反応を示すのは異常なこととは言えません。人々が古い考えにとらわれ、外来の価値観をすんなり受け入れられないのは古今東西を通じて共通することです。諸国で世界宗教の受容が順調に成し遂げられたのは、ほとんどの場合、直、間接的な帝国の影響を受ける国家の君主が、帝国が信奉する世界宗教を受容すれば多大の利益があり、反対に受容しなければ国に害が及ぶと考えたからです。世界宗教の受容は、国家の生存問題と関係し、王権が強力に推進し、国内の反対は力で抑えられたのです。

 

 

日本で世界宗教への反発が強かったのは、外来宗教や思想に対する固有の排他的土壌が存在したからではありません。国家の置かれた特殊条件により、王権が国家戦略上、あるいは王権強化のため帝国の宗教を受容する必要がなく、庇護しなかったため、既存勢力の反対に直面したからです。国家意識が強かったためではなく、むしろ希薄だったからとも言えます。

 

 

多くの国において世界宗教の受容は、世界宗教を信奉する帝国との国際問題という性格をもちましたが、日本においては世界宗教の受容推進者と反対勢力の葛藤、抗争という国内問題として推移したのです。

 

 

 

●日本における世界宗教のクライマックスは受容期

 

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キリスト教帝国の後ろ盾がないキリシタンは大殉教の道をたどった

 

 

世界宗教の信仰の力が問われ発揮されたのは二つの時代があったと思います。まずは、世界宗教が国家によって受容されるまで、もう一つは世界宗教を受容した国家が試練に直面した時です。日本と諸外国では信仰の高揚期が異なったのです。

 

 

諸国での世界宗教受容は王権が主導し順調に推進されましたが、それは王権の事業であり、宗教にとっては受動的なものでした。これらの国で宗教的情熱が高揚したのは国家、民族の「試練期」でした。外国に侵略された時、あるいは戦争をしている時など、国民が極度の苦難を受ける時に、人々は世界宗教に頼り、愛国心と信仰心を一つのものに固く結びつけたのです。

 

 

例えば、ポルトガルゲルマン民族である西ゴート族が侵入しキリスト教を国教としました。8世紀からイスラム勢力に400年以上も支配され、キリスト教徒が国土回復戦争を続けポルトガルを建国します。その後は順調に発展し、大航海時代には世界帝国になりますが、1578年にセバスティアン王がアフリカ遠征に失敗し、2年後、スペインに併合されてしまいます。

 

 

ポルトガルキリスト教を戴きイスラム教と戦い建国し、後に世界にキリスト教を伝える帝国になりましたが、スペインに支配され屈辱を味わいました。この歴史の変遷の中で、国民はキリスト教への信仰と愛国心を高揚させ、国家の独立と発展のために努力と忍耐を重ねました。いかに国家の栄光と試練がキリスト教と強く結びついているでしょうか。まさにこれによって、キリスト教ポルトガルの国教の座を不動のものにしたのです。実に、国教とは国民がつくるものなのです。

 

 

これはポルトガルに限ったことではありません。ヨーロッパにおいては、全ての国が異民族支配や圧迫を受けました。そのような艱難の時代に国民の愛国心と信仰心は高まったのです。東欧社会主義政権下で弾圧されたキリスト教が冷戦後に力強く復興している姿を見てもそれが判ります。今日の民族、宗教紛争の構図も、困難な立場にある民族が、民族意識と信仰心を高揚させ、強力な国家に対抗するというものです。

 

 

反対に日本では、世界宗教において強い信仰心が必要とされた時代は「受容期」だったのです。世界宗教は受容期に既存政治勢力や宗教勢力の反対、迫害を克服しなければなりませんでした。仏教やキリスト教儒教の受容、奨励期は、推進した権力者(中心人物)信徒達に、強い信念と信仰の高揚、また行動が要求されたのです。

 

 

しかし、キリスト教をのぞき、一旦、世界宗教が受容されれば国家の保護を受け発展しました。また日本は外国の侵略、支配という国難も経ず、明治まで国民の愛国心と信仰心が強く結びつくような外患はなかったのです。元寇の時に武士は抗戦し仏教界は敵国調伏の祈祷をなし、日蓮のような国家を強く意識する宗教家も登場しましたが、危機は早期に免れ、諸外国の苦難とは比べようもありません。日本人の宗教心は諸外国と比べ弱いと言われますが、その遠因は宗教によって国家存亡の危機を克服した経験を持たず、民族や集団における宗教の究極的な重要性を感じないからではないでしょうか。

 

 

ともあれ日本は、諸外国で世界宗教受容を推進させた、帝国の影響と敵国との生存競争という状況がなかったにもかかわらず、仏教、キリスト教儒教という世界的普遍宗教を受容しました。そこには外のメッセージを敏感に受け止め、核心部分を導入し、自分のものとして結実させ得た何かがあり、またそうする努力が求められたのです。その主体的行動がなければ日本は世界宗教を受容できませんでした。本書では、伝来した世界宗教が受容期に困難に直面した事情と、受容を推進した人物である、仏教の蘇我馬子キリスト教織田信長儒教徳川綱吉という、異端的権力者の試みに光を当てました。それはまた、脱亜、入亜という巨大な文明現象を引き起こした原動力を知ることにも繋がるのです。

 

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世界宗教史のパラドックス -帝国が宗教を伝播した-

      

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コンスタンチヌス帝の改宗は「ヨーロッパの改宗」といわれる

 《島嶼独立国家・日本 -グローバリズムと戦う日本文明論-4》 

 

永田正治 (Masaharu Nagata ) 

 



●はじめに


本論では、帝国=悪、とは捉えません。帝国こそ文明の守護者であり、帝国がなければ、高度な広域文明は形成されませんでした。本来の帝国の使命は、その強大な力で、領土の治安を維持し、安全な交易を保証して経済を発展させ、国民の生活を安定させることです。もうひとつ重要な使命があります。それは、聖人の教えを広げ、人々が正しい人生をおくることによって、平和で幸福な社会をつくることです。宗教の保護、奨励も帝国の役割なのです。しかし、多くの帝国は、支配者みずから、聖人の教えに背き、腐敗し、国民に暴虐をふるい、悪なる帝国に変質してしまいました。そのため、王朝は代わったのです。現代の、グローバリスト帝国も、暴利を貪らず、人類の幸福に寄与するならば、問題はありません。今日まで、帝国の政治、経済はすでに研究されました。本論では、人類の精神史、すなわち、帝国が世界宗教を拡大、奨励した歴史に焦点をあてます。それにより、世界宗教発展の真実、そして、帝国から独立していた島嶼独立国家・日本の宗教受容の特殊性を知ることができます。

                       * * *

全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。
           イエス・キリスト大宣教命令. 『聖書』


                 

 ●帝国は宗教を伝播する

 

エス、釈迦、孔子マホメットなど、世界宗教(universal religion)の創始者が人類史に及ぼした影響は絶大で、いかなる世俗の覇者も遠くおよびません。その崇高な精神と普遍思想は、おおくの国々に伝播し、世界史の発展を牽引しました。しかし、現実における世界宗教の伝播は、「帝国」の役割に注目せざるを得ません。 

 

今日のように、信教の自由が認められる以前、世界宗教の伝播は大きく見てふたつの段階があったと言えます。第一段階は、教祖が布教し、そして、教祖の死後、信徒たちにより宣教が進展し、社会的基盤をつくり、帝国によって宗教が公認されるまで。第二段階は、その宗教が、帝国の国教となった後の段階です。 

 

世界宗教は、帝国に公認されるまでは、社会の少数者、弱者として宣教をすすめる苦難の時代を経、帝国の国教となった後は、一変して、社会の多数者、強者に転換しました。優れた普遍思想をもつ世界宗教は、帝国統合の理念、国民の信仰となり、帝国自体が、宗教の教えを受け入れ、普遍宗教的な国家に姿を変えたのです。教えの内外への伝播は、帝国の文明力と政治力を背景に推進されました。世界宗教の歴史は、帝国の役割なしに語ることはできません。そしてほとんどの場合、次の仮説が適用できます。 

 

1.世界宗教はそれを受容した帝国(強国)の影響力が及ぶところでは順調に伝播した。

 

2.反対に、その世界宗教を受容した帝国(強国)の影響力が及ばないところでは伝播に困難が伴った。 

 

歴史的に、多くの国は自国が帝国であったか、あるいは帝国の影響下にありました。諸国における世界宗教受容のあり方は、ほとんど前者の仮説を適用できます。しかし、帝国の支配と圧力を受けなかった、独立国家日本は、後者に当てはまり、日本に伝来した世界宗教は困難に遭遇したのです。古代における仏教伝来は戦争を引き起こし、近世のキリスト教は大迫害を受け、儒教は国家統治理念になるまで長い時間を要しました。諸国の世界宗教受容の歴史と日本のそれを比較すると、日本の特殊性が明らかになるとともに、国家の世界宗教受容において、何が決定的影響力を持ったのかということを知ることができます。 

 

以上のような世界宗教受容に関する理解は本論の骨格をなすもので、ここではまず、ヨーロッパにおけるキリスト教の歴史を中心にこの問題を考えたいと思います。 

 

キリスト教は、教祖イエスが33歳で十字架にかけられ生涯を終え、その教えは弟子達に引き継がれました。約300年間、ローマ帝国のきびしい禁令下で信者を増やし、313年にコンスタンチヌス帝によって、ようやく公認されました。当時、キリスト教信者は全ローマ帝国住民の約10分の1を占めていたと言われます。 

 

この公認までの期間こそ、キリスト教にとって長く困難な時代でした。クリスチャンは執拗に迫害され、その凄まじさは総延長560キロにも及ぶローマのカタコンベ遺跡が雄弁に物語りますローマ帝国下での迫害は、先に挙げた「世界宗教を受容した帝国の影響が及ばないところでは伝播に困難が伴った」という状況を示すと言えます。 

 

しかし、キリスト教ローマ帝国に受容され劇的な変化を迎えます。392年、テオドシウス帝が「国教」とした後は、ローマ帝国の支配的宗教となり、反対に、他の宗教は禁止されました。クリスチャンは弱者として迫害される時代を終え、ローマ社会の強者に変貌したのです。キリスト教と帝国政府は強固に結び付き、奨励、宣教は国家の政策となり、その教えは広大な帝国領と周辺に伝播して行きました。

 

 

カトリックゲルマン人の帝国

 

476年の西ローマ帝国の滅亡により、ローマ・カトリック教会は頼みの後ろ盾を失い、ヨーロッパの新しい主人であるゲルマン民族の中に庇護者を求めました。当時、ゲルマン諸族は生き残りをかけた激しい闘争を繰り広げており、ヨーロッパでのカトリック伝播は、諸国が弱肉強食の生存競争を展開するなかで推進されたのです。 

 

496年、フランク王国のクローヴィス王は3000人の戦士とともに、アリウス派からカトリックに改宗しました。クローヴィスは、西ゴート王国などアリウス派を信じる敵国を「異端討伐」という大義名分のもとに征服しフランク王国の覇権を拡大しましたが、それはまた、カトリック圏の拡張をも意味したのです。 

 

クローヴィスの改宗は、ローマ文明を継承し、高い権威をもつカトリック教会と連合することで、王権と国家の威信を高めるとともに、戦争の名分を得て隣国を倒すための生存戦略と言えました。カトリック教会にとっても、フランク王国との連帯は、教会の安全と布教のための生存戦略だったのです。 

 

732年、フランク王国の宮宰カール・マルテルは、ヨーロッパに進撃してきたイスラム軍をツール・ポワチエ間の戦いで破り、キリスト教世界の危機を救いました。その子ピピンは、ローマ教皇と結びつきカロリング朝を建て、教皇に広大な領地を寄進したのです。 

 

ピピンの子カール大帝は、さらに領土を拡大し、版図は西ローマ帝国に匹敵するものとなりました。カールは800年に教皇レオ三世により、ローマ皇帝に戴冠され、ここに西ローマ帝国ゲルマン人の手によって再建されたのです。この戴冠の時から「ヨーロッパ」が始まったと言われます。 

 

カールはキリスト教を背景とするカロリングルネッサンスと呼ばれる文化事業を推進し、この文化の発展も、キリスト教伝播を後押ししました。こうしてローマ教皇庁フランク王国を軸に、カトリック圏がヨーロッパに拡大していくのです。 

 

955年、東フランク王国のオットー大帝は、ヨーロッパに脅威を与えていたマジャール人をレヒフェルトの戦いで破り、キリスト教世界の守護者となりました。952年には、教皇ヨハネス12世によりローマ皇帝の冠を受け、神聖ローマ帝国を成立させたのです。この帝国は、カトリック世界の頂点に立つ国家となり、844年の長きにわたり存続しました。 

 

キリスト教宣教の使命は、ローマ帝国滅亡から近代に至るまで、西洋の多くの帝国が引き継ぎました。周辺諸国は帝国の強力な軍事力を恐れる一方、先進的な文明は、帝国の政治的影響圏を越え、広範な地域に光を発し、合理的な統治制度と洗練された文化は人々を引きつけ、諸国の政策決定に影響を及ぼしました。このような帝国の影響力により、近隣国家は次第にキリスト教を受容し、キリスト教化した国家が、また近隣国家のキリスト教化に影響を及ぼしたのです。 

 

キリスト教伝播に宣教師の役割は重要ですが、宣教師は帝国と教会、すなわちキリスト教世界が派遣したメッセンジャーで、巨大帝国の大きな威光を背景に宣教をおこなったのです。キリスト教帝国の影響が及ぶところでは、帝国に敵対する行為である宣教師迫害はほとんど起こりませんでした。反対に、キリスト教帝国の影響圏外の国家では、たとえ多数の信者を獲得しても、キリスト教は禁止され、宣教師が弾圧された歴史があったのです。フランク王国の影響が及んだ6世紀のイギリスでは、40人の宣教師によって国家のキリスト教化が成し遂げられましたが、キリスト教国家の影響圏外にあった17世紀の日本では、400人の宣教師が、決死の伝道をして数十万人の信徒を獲得しても、キリスト教は禁止され宣教師は追放、迫害されたのです。

 

 

 

●国家の生き残り戦略とキリスト教受容

 

ハンガリーポーランドは、キリスト教国家との熾烈な闘争のなかで、国家生存のためにキリスト教を受容し、中欧の大国に成長しました。オットー大帝に敗北したマジャール人(ハンガリー人)の指導者ゲーザは、自分を打ち破った敵国の宗教であるキリスト教を受容し、キリスト教共同体の一員となることで、国家の生き残りを計りました。その子イシュトヴァーンは、改宗を拒む者を武力で抑えキリスト教を国教化し、紀元1000年にはローマ教皇から王冠を贈られ戴冠し、ハンガリー王国を成立させます。ハンガリーは、ヨーロッパを苦しめた異教徒の蛮国からキリスト教世界の東方を守る要衝国家に生まれ変わったのです。 

 

ポーランドは、966年、首長ミェシュコがカトリックに改宗しました。この改宗により、自らを標的とするドイツ人キリスト教徒の異教討伐という大義名分を奪い、カトリック国のボヘミアやドイツ諸侯国と同等の外交的地位を獲得したのです。その後ポーランドは、ボヘミア神聖ローマ帝国と友好関係を結び、ドイツ人遠征軍を破って、バルト海沿岸を領有し強国となりました。 

 

バイキングが建国したデンマークスウェーデンノルウェーという軍事強国は、10世紀後半から11世紀の初めにかけてキリスト教を受容しました。ノルウェーのオーラブ1世は、オランダ、イギリスなどを訪問中にキリスト教に改宗しました。オーラブ1世は、多神教を信じ改宗を拒否する豪族を即座に殺害したといいます。この三国は国家統合と王権強化のために、キリスト教とヨーロッパ文明の受容を決意したのです。ヨーロッパを荒らし回ったバイキングは、キリスト教文明に感化され、北欧キリスト教圏を形成しました。 

 

遊牧民との戦いを続けていたロシアでは、988年、キエフ大公ウラジミール1世が、ビザンティン皇帝の妹と結婚し、ギリシャ正教に改宗し、これを国教としました。同時に、ビザンティン帝国専制君主制と文化を導入し、ヨーロッパ・キリスト教圏を構成する一員となったのです。 

 

以上、ヨーロッパのキリスト教受容の流れを見てきました。諸国はながく、多神教民族宗教キリスト教の異端を信じており、本来、改宗は容易に成されるものではありませんでした。諸国は外からはキリスト教帝国の文化的影響と政治的圧力、また周辺国との生存競争に直面し、内には、王権強化という課題を抱えていました。それらを解決するために、キリスト教帝国と友好関係を結び、国内外に対して、自らの権威と自国の優位を確立するため、超国家的権威を有するキリスト教受容に向かったのです。ヨーロッパのキリスト教受容は、国家の生存、発展戦略として行なわれ、受容主体は王権でした。国家理念の制定と普及は王権のみが決定、実行し得る事業だったからです。 

 

以上のような背景の下、10世紀から11世紀にかけて多くの国がキリスト教化し、ヨーロッパではキリスト教国でなければ、国際社会の成員とは見なされなくなりました。こうしてキリスト教は全ヨーロッパを覆う宗教となったのです。 

 

更には、近世の大航海時代以降、ヨーロッパ諸国の世界進出によるキリスト教文明圏の拡大は、征服、植民地化、それに伴う移民など、一層直接的なキリスト教帝国による対外活動と影響力の行使によって成し遂げられました。それにより南北アメリカ、アフリカ、オセアニアなどに多くのキリスト教国家が誕生したのです。

 


 
 イスラム帝国とジハード
 

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イスラム教はマホメット死後わずか10年にして大帝国を形成した


イスラム教の歴史は、世界宗教伝播における、帝国の役割と国家の生存戦略という背景を、キリスト教以上に反映しています。イスラム国家は、砂漠の多いアラビア半島で誕生し、ビザンティン帝国(東ローマ帝国)とペルシャ帝国という巨大帝国に隣接していました。イスラム国家は、半島を越え、領土を拡張しない限り、どちらかの帝国に従属するしかなく、宗教共同体国家の独立と生き残りのため、自らが帝国となる道を選択したのです。 

 

イスラム教にとってジハード(聖戦)は、説得や統治、また戦いという手段を用いて、イスラム教を伝播する行動です。マホメットは、メッカで宣教を始めましたが、迫害を受けてメディナに逃れ、そこで政治権力を握りました。 

 

王権を獲得したマホメットは、イスラム共同体(ウンマ)を整え、メッカを攻略し、全アラビア半島を制圧した後、632年に62歳で他界しました。イスラム教が他の世界宗教と異なるところは、教祖の代に国家建設を成し遂げたことです。 

 

第2代カリフのウマル一世は、周辺帝国に対し、大征服を決意し、シリア、エルサレムを攻略し、641年にネハーヴァンドの戦いでササン朝ペルシャ軍を破り、翌年、ビザンティン帝国からエジプトのアレキサンドリアを奪い、中東から北アフリカに及ぶ大帝国をつくりあげました。 

 

これはマホメットの死後わずか10年のことです。イスラム帝国は、ウマイア朝に至ってさらに領土を拡張します。イスラム教徒にとってジハードは、宗教的理想と国家の生存戦略がひとつとなった宗教的実践であり、それによって建設された帝国は、イスラム教の理想を実現するという明確な目的を持ったのです。 

 

中東のイスラム化は軍事力によるものでしたが、アフリカでは、イスラム教徒の隊商が、教勢拡張に大きな役割を演じました。東南アジアへのイスラム教伝播も、文明力を背景に成され、イスラム帝国の優れた文物が交易によりこの地方にもたらされ、現地の商人や指導層がイスラム教を受容しました。15世紀はじめには、イスラム教国のマラッカ王国が樹立され、国民を教化し、今日の二億人を越える東南アジアイスラム圏形成の基礎を築いたのです。

 

 

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《 こころ優しい妖怪と、千と千尋の神隠し、そしてハリーポッター 》 その宗教性の深部

   

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日本人にとって妖怪は土の匂いがする癒しキャラ

宗教・スピリチュアリティー 4 

 

永田正治 (Masaharu Nagata ) 

 

●はじめに


妖怪、魔法使い、もののけなど、異界の住人があらわれるファンタジーは、「多神教の世界」で、絶大な人気を誇ります。それは「一神教」が「多神教」より魅力ある文化を発信できないからです。すなわち、「唯一なる神」を信じる人々の力不足です。そして、これら多神教的ファンタジーには、ゆたかな宗教的価値と意味を持つものもあります。クリスチャンが一神教を復興させたいならば、「スピリチュアリティー・広義の宗教」が、いったいどんな宗教性を備えているか、知らなければなりません。 

 

 

水木しげるロード
 
鳥取県の境港には、「水木しげるロード」があります。2015年に亡くなった境港出身のマンガ家、水木しげる氏の、妖怪キャラクターのブロンズ像153体をはじめ、水木しげる記念館や妖怪グッズ専門店などが集まる「異界の通り」です。境港は、妖怪を観光資源にし、全国から年間200万人以上の見物客が集まる一大テーマパークに変貌しました。 

 

妖怪は、自然のいたるところに霊的存在が潜むと考える、日本人独特の宗教心が生んだものです。外国にはこんな多彩で個性豊かな妖怪はいません。古来より、妖怪は人を喰うような恐ろしい存在と思われてきました。江戸時代後期に、浮世絵師がユニークで滑稽な妖怪を描くようになり、イメージが一変し、芝居や漫才などでも取り上げられ、妖怪ブームが起こったのです。戦後、巨匠水木しげるが、さらに豊かなキャラクターを生みだし、妖怪をメジャーな存在に押し上げました。 

 

現代の妖怪マニアは、妖怪が存在するとは思っていません。妖怪研究家を自認する多田克己氏は、「妖怪にまつわる民間信仰、口承、歴史背景、自然科学は研究できても、肝心の妖怪そのものは研究できません」と指摘します。妖怪はいませんが、妖怪たちを「存在させている」日本独特の妖怪文化は多様性に富み厖大なのです。 

 

京極夏彦氏は、宇宙人と妖怪を比較し、「―まあ宇宙人の場合、〈いないな〉と思っちゃったら終わりでしょう。妖怪はいなくて当然なんだから、強いですよ。だって、妖怪否定論者って会ったことないもん。たとえば、大槻教授だって、妖怪は否定しないと思うよ。まあ、鬼火はプラズマだという主張に対しても〈プラズマのことを妖怪方面では鬼火って言うんですよ〉って返せばいいだけだし」と言っています。 

 

 

●妖怪は癒しキャラ

 

東日本大震災の年、劇団四季が、東北地方でおこなった演劇のボランティア巡演は、ユタと不思議な仲間たちです。お父さんをなくし、東京から東北に引っ越してきたユタという転校生が、学友からいじめられ一人悩みます。ユタと友達になり、なぐさめ力づけたのは、妖怪である5人の「座敷わらし」です。この心優しい座敷わらし達は、江戸時代、飢饉のため、生まれてすぐに間引きされ殺された、不幸な子供たちの化身です。 

 

ユタを助けてあげた座敷わらし等は、震災で悲しみに暮れる東北の子供たちもなぐさめ力を与えたのです。今日、日本人にとって妖怪は恐ろしいものではなく、人間臭く、ユニークで愛嬌がある「癒しキャラ」とも言える存在です。 

 

今は、ロボット技術や人工知能が進歩し宇宙開発も進んでいます。そんな時代の趨勢を考えると、ロボットや宇宙人など未来系キャラが人気をよび、妖怪は後退するのが自然だと思うのですが、妖怪ウォッチがヒットするなど、新たな展開を遂げています。21世紀になり、「科学の子」として長くスーパースターの座にあったアトムより、墓場で生まれ、ちゃんちゃんこを着た「妖怪の子」鬼太郎が、今もテレビで放映され、頻繁に私たちの目に触れる現実は、奇異であるとともに驚くべきことです。 

 

科学の発展により、人は安楽な生活を営むようになりましたが、科学のもつ恐ろしい力にも気づきました。また個人の能力を越えどんどん進歩、変化する社会は、人々から人間性を置き忘れさせます。 

 

現代人は、妖怪という、科学と対極にある「人間臭い」存在を友だちにすることによって、人間性と土着性を取り戻そうとしているようです。今日、日本文化が国際的に注目され発信されていますが、「YO-KAI」が、世界で歓迎される時代が訪れるかも知れません。

 

 

〈以下は、拙著『デバイン・プリンシプルへの招待』の内容と重複する部分が多く含まれます〉

 

 

 

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陰暦的知性とは、世界が存在する意味を教えてくれる知性です

 

 

●「千と千尋の神隠し」の宗教的メッセージ

 

現代は、マンガ、映画、小説などに宗教的なものが多く、これらは「どこまでが宗教か?」を考えるとき問題になります。深い宗教的意味があるものでも、「ただの娯楽」と捉えてしまうことが多いからです。しかし、人は知らず識らず、「娯楽」から影響を受けます。50年ほど前、「鉄腕アトム」や「鉄人28号」は、科学を信頼する世界観を発信しましたが、今日、「もののけ姫」や「バケモノの子」は科学への信頼とまったく逆の世界観を発信するでしょう。 

 

『宗教と現代がわかる本』(平凡社)の、2007年創刊号のあいさつには、現代日本人の宗教に対する意識は、狭義の宗教には無関心、組織としての教団には違和感を持ちながらも、広い意味での宗教文化、あるいは精神文化への関心は高まっているようです」とし、毎年「広義の宗教」についてユニークな内容を紹介しています。2015年版特集は「マンガと宗教」で、マンガのなかの宗教性を取り上げました。 

 

 

●異界と過去の世界

 

驚くべきは、宗教的物語の人気の高さです。日本の歴代映画興行収益の一位は、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」です。この物語の宗教的背景とメッセージを考えてみましょう。まず、道端に多くの石の祠があらわれ、この先が神秘的領域につながることを暗示します。千尋が迷い込む古風な建物は、八百万の神が疲れを癒しにやって来る温泉旅館です。注目すべきは、科学的法則を超越した異界が、未来ではなく過去の世界で、老人がキーパーソンだということです。「ロードオヴ・ザリング」も「ハウルの動く城」など多くの作品もおなじです。 

 

なぜ、不思議の世界が「過去の世界」なのでしょうか。科学が発達する前、世界は進歩が緩慢でした。先祖、自分、子孫の生活は基本的に大きな変化はありません。そのような社会では過去が最大の情報源であり、それをよく知る老人が重んじられます。集まりでは老人の意見が尊重され、未来を担う子供は老人の昔話を聞いて成長しました。「老人」こそ過去、現在、未来をつなげる役割を果たしていたのです。 

 

また、医学が発達していない時代、人は短命でした。いまは抗生物質などで簡単に治せる病気でも命を落としたのです。歴史的に日本人の平均寿命は30歳代前半だったそうです。子供をたくさん産んでも、幼くして死ぬ子もおおく、20代なかばになれば、自分の知っていた人のなかには、生きている人より、死んだ人のほうが多かったのです。死は常に身近にあり、忘却して生きることはできません。 

 

昔の人々は、宗教的でなければ平安を得ることができなかったのです。現実と死後の世界の境界もあいまいで、死者と通じることができると信じていました。人は死んで夜空の星になると譬えるように、夜は霊的世界につながり、死者と接近できる時間でした。人々はながい夜のあいだ、満天の星空を見つめながら、死者と現在に生きる者、未来の子孫のことを想ったのです。 

 

また、夜の思いや夢を重視し、夢に死者が現れたら死者と会ったということなのです。このように昔の人は、過去・現在・未来、そして死者・生者・子孫がつながっていました。この強いつながりがあればこそ人類は今日まで生き残り、私たちが存在しているのです。そのつながりが、「精神(こころ)の故郷」です。 

 

現代人はそれらを失いました。科学の進歩はあまりに早く、社会は激変しています。自分と父母、そして祖父母の生活はあまりにも変化し、過去を振り返る余裕などありません。有名人ゲストの先祖を追う、NHKの「ファミリーヒストリー」を見て感じるのは、誰もが父母、祖父母のことをよく知らないということです。これが現代人です。今は老人から昔話を聞いて育った人はほとんどいないのです。 

 

今日のスマートフォンの機能は30年前にはSF世界のものでした。今は1年前のモデルは旧式になってしまいます。さらに進歩する30年後のスマホの機能はだれも想像すらできません。人々はこの急激な変化について行くのがやっとです。急速に変化する時代、老人は真っ先に取り残され、技術、情報分野で遅れた存在に転落します。昔のように、過去、現在、未来をつなげる役割など果たしようがありません。 

 

また、医学が発達し、人々は長寿を獲得し、豊かで楽しい生活のなかで、死を思わず生きることができます。死は忘れるべきものと忌避され、死者と通じることなどはオカルトの話しになってしまいました。 

 

現代人の生活は、過去、現在、未来がつながらず、死者、生者、子孫がつながっていないのです。これは、はっきり自覚されなくとも、人間精神に危機をもたらす重大問題で、心の奥には底知れぬ不安と孤立感が存在します。現代人が孤独なのはこれが原因です。不思議の世界が過去であるのは、人が過去に享受した「精神の故郷」を取り戻す試みです。それを取り戻してくれるキーパーソンこそ「老人」で、多くの物語では、老人が救世主のごとき力を持つ存在として、鮮やかに復権するのです。 

 

 

●ゼニーバの愛

 

千と千尋の神隠し」のメインテーマは価値観の問題です。ここを支配する湯ババは贅沢な場所に暮らし、すさまじい魔力で君臨する物質的欲望に縛られた権力者です。千尋を助けるハクは強力な魔法を得るため湯ババの手下になった龍、廃棄物で本来の姿を失った神、金塊を魔力で作り出しとめどない食欲をもつカオナシカオナシの出す金塊に狂喜するモノノケ達、湯ババのわがままな赤ん坊。まさに欲望が渦巻く現代社会の縮図です。 

 

これらの間違った価値観を変えてくれるのは、過去、現在、未来のつながりを知り、生と死の意味を悟る湯ババの姉ゼニーバです。ゼニーバは、森の中で昔のヨーロッパの農民のような質素な家に住み、魔法に頼らない暮らしをしています。千尋のために、魔法で作ったら意味がないと言い、皆とともに糸を編んでお守りの髪留めを作ってあげます。強力な魔法使いであるにも関わらず、魔法より思いやりと愛情が大切なことを千尋に教えるのです。このゼニーバの働きにより、皆の価値観が変わります。 

 

結局、湯ババは千尋の両親を許し、家族は元の世界に戻ることができます。そして、エンディングに流れる主題曲「いつも何度でも」に、この物語のメッセージが集約されています。 

 

呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心踊る 夢をみたい

 

かなしみは 数えきれないけれど
その向こうできっと あなたに会える


………


さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが 耳をすませる

 

生きている不思議 死んでゆく不思議
花も風も街も みんなおなじ

 

呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも何度でも 夢を描こう


……… 


はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ

 

海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに 見つけられたから

 

 

この歌詞は、「死」をつよく意識しています。ストーリーも生死の境が明確ではありません。異界に迷い込んだ時から死後の世界に入ったようでもあるし、ゼニーバのところに行く電車の様子が死の世界のようです。全ての存在の宿命としての死、精神の故郷を失い傷ついた心、そして愛と思いやりのある存在から教えられ、大事なことを悟り、新たな力を得た喜びを表現しています。 

 

 

●ふたつの知性

 

知性には「陽暦的知性」と「陰暦的知性」があると思います。陽暦的知性」は、太陽と昼に象徴される、光と熱を受けエネルギーで構成される、目に見える世界を解明し運用する知性で、科学的知性ということができます。自然科学、社会科学、人文科学をふくめ、論理で把握でき、人々に説明できる知性です。人類はこの知性を活用し、驚くべき発展をとげました。 

 

一方、「陰暦的知性」は、月と星、夜に象徴される知性で、目に見えず、論理で把握できず、説明が困難な知性です。満天の星空の下で、祈り、思索して知る、霊的、宗教的知性ということができます。これは、現実に役立つ陽暦的知性と比べ、無意味なものと認識されやすいものです。現代人はこの知性が退化しました。 

 

しかし、夜空に輝く星は何千万、何億光年という彼方にある恒星が放った光で、星空とは天文学的スケールの世界なのです。それは神や仏、永遠、無限を感じることができる世界です。反対に、昼に見える太陽と地球は、夜みえる世界と比べると、大海とコップの水以上の違いがある小さな世界です。 

 

陰暦的知性とは、『星の王子さま』で、「心で見ないと、なにも見えない。いちばん大事なことは、目には見えない」と言っている、目に見えない世界の知性です。この知性は、世界の構造を解明する知性ではなく、世界が存在する意味を教えてくれる知性です。 

 

私たちはふたつの知性があるということを意識すべきです。昔の人は夜空を見て、自然に、陰暦的知性を磨きました。しかし、現代人は都市化と電気の力によって、夜が放つ霊性を覆い隠してしまいました。蹂躙したと言った方がいいかも知れません。 

 

電気をつければ、生活空間は昼のように明るくなり、あえて夜空を眺めません。たとえ夜空を見ても、大気汚染と都市の明るさで星はほとんど見えません。生活のなかで、月と星が発する偉大な霊性を失ったことが、現代人が宗教性をなくした大きな原因ではないでしょうか。よく、夜はマイナス思考になると言いますが、それは本来、夜がもつ強力な霊的パワーを自分たちが遮断し、ただの暗い時間にしてしまったからです。 

 

現代人は、陰暦的知性を回復しなければなりません。それを推進するのが宗教者です。過去、信心深い「老人」が果たしてきた、人間の過去、現在、未来をつなげる精神的役割を果たせるのは、同じように神や仏を深く信じる「宗教者」しかいないのです。 

 

 

ハリー・ポッターダンブルドア校長

 

1997年から2007年にかけ、イギリスのJ.K.ローリング氏が書いた「ハリー・ポッターシリーズ」は、全世界4億5000万部という空前の発行部数を達成しました。映画も大ヒットし、アメリカと日本にはテーマパークもつくられています。 

 

ハリー・ポッター」と「千と千尋の神隠し」は似ています。ハリーが学ぶホグワーツ魔法学校は、まるで中世の城で内部も過去の世界、キーパーソンもやはり老人です。魔法族の世界では、ヴォルデモートという恐ろしい魔法使いが復活する危機に直面していました。ホグワーツ魔法学校にも、ヴォルデモートに従う者たちがあらわれ、学校を支配するため暗躍します。 

 

ヴォルデモートを倒す秘密を知るのが、偉大な魔法使いであり教育者であるアルバス・ダンブルドア校長です。銀色の長いひげに半月メガネをかけたこの老人は、ハリーがヴォルデモートを倒すことができるように、自分の命を犠牲にし、ハリーに死を乗り越える勇気を持つことを教えます。ハリーがそれを悟り、ヴォルデモートの手により致命傷を負い、死の淵の臨死体験ダンブルドア校長に再開します。このときの校長の話に重要なメッセージが込められています。 

 

「しかも、ハリー、あの者の知識は、情けないほど不完全なままじゃった!ヴォルデモートは、自らが価値を認めぬものに関して理解しようとはせぬ。屋敷しもべや妖精やお伽噺、愛や忠誠、そして無垢。ヴォルデモートは、こうしたものを知らず、理解してはおらぬ。まったく何も。こうしたもののすべてが、ヴォルデモートを凌駕する力を持ち、どのような魔法も及ばぬ力を持つという真実を、あの者は決して理解できなかった」。 

 

愛や忠誠、無垢という精神の価値が、魔法にまさる真の力を持ち、悪に打ち勝つことができると語ります。現代人にとって、「魔法の力」とは、絶大なちからをもつ「科学の力」に置き換えられます。私たちに、科学の力に頼るより、愛や無垢な心が重要だということを教えています。 

 

また、死について深遠な思想を述べます。「―なぜなら、真の死の支配者は、〈死〉から逃げようとはせぬ。死なねばならぬということを受け入れるとともに、生ある世界のほうが、死ぬことよりもはるかに劣る場合があると理解できる者なのじゃ」、「死者を哀れむではない、ハリー。生きている者を哀れむのじゃ。とくに愛なくして生きている者を」。 

 

生きることより、死ぬことがさらに価値ある場合があり、間違った価値観をもって生きることは死よりもはるかに劣ること。そして、愛なくして生きる者は、死者よりも哀れむべき者と語ります。そしてハリーは、最強の杖を手に入れてしまったヴォルデモートに、決死の戦いを挑む決意をします。 

 

ハリーは最後に、「これは現実のことなのですか?それとも、全部、僕の頭の中で起こっていることなのですか」とダンブルドア校長に問いかけます。校長は、「もちろん、君の頭の中で起こっていることじゃよ、ハリー。しかし、だからと言って、それが現実ではないと言えるじゃろうか?」と、意味深長な答えを返します。 

 

現代人は、夢や予感、不思議な体験などは、偶然として無視することが普通です。しかしこのなかに、神が人に伝えたいメッセージが込められているかも知れないのです。とくに宗教者にとって神秘体験は軽く扱うことはできません。神はこれらの現象を通じ、大事なことを知らせようとしているからです。 

 

宗教の先人たちは皆、神秘体験を通して神が自分に与えた使命を確信し、偉大な業績を残しました。神秘体験がなければ、宗教の存在も発展もなかったのです。頭のなかで起こったことが現実を動かす大きな力を秘めているのです。

 

 

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平和的天皇制と島国的サムライ -島嶼独立国家の守り人-

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王者の使命は国民のため外敵と戦うこと

島嶼独立国家・日本 -グローバリズムと戦う日本文明論-3》 

 

 永田正治 (Masaharu Nagata)

 

 

 ●はじめに

5月1日の新天皇御即位をもって、令和の御代が始まりました。歴史的に、中華帝国から自由だった島嶼独立国家を統治した制度は、外国勢力から完全に独立していた、天皇制と武士(幕府)でした。この天皇制と武士のあり方を、諸外国の王権と比較し論じることは、日本という国の本質をとらえるカギを握るものです。




世界の王権の存在理由は「外敵と戦うこと」 

 
諸国は通常、近隣に油断のならない敵をもち戦争に備えなければなりませんでした。歴史的に国家にとって最も危険な存在は、外国や異民族だったのです。ヨーロッパは諸国が割拠し、中国は周辺異民族との絶えざる抗争がありました。世界において、国防は王権の義務であり存在理由で、君主はまずもって、外敵と戦う意思と力をもつことが要求されたのです。


世界では異民族の征服王朝に支配され、外国の血を引く君主に統治されることはありふれたことでした。ところが日本は、内外の歴史文献に外国によって征服されたという記録はありません。私達の国家観を考えるとき、「異民族によって支配された覚えがない」ということは重要です。日本は外国の脅威に直面しなかったので、王権の存在理由が外敵から自国を防衛することにはなり得ません。天皇制のあり方を論じる時、まずこの事情、すなわち日本史の特殊性を踏まえる必要があります。


古代、天皇は軍権を掌握し、軍人的性格を帯びていた時代もありましたが、平安時代を通じて軍事とは縁のうすい存在となり、武家が台頭すると軍事は全く武家に依存するようになったのです。また、ほとんどの天皇は親政を行なわず貴族や武家が政治を担っていました。



ヨーロッパでは皇帝や国王は軍隊を率いて戦いました。十字軍戦争のとき、ヨーロッパの君主は自ら騎士軍団を率いてアジアに遠征しました。19世紀初頭、アウステルリッツ会戦では皇帝ナポレオンに対しオーストリアとロシアの皇帝が軍を指揮し戦ったのです。数年前、イギリスのヘンリー王子が、アフガニスタンでの兵役中にタリバン兵士を殺害したと語ったことは衝撃的なニュースでした。中国や韓国でも軍権は君主が掌握するものです。これら諸外国の君主と日本の天皇はあまりにも性格を異にします。



天皇弱体化と島嶼国家的サムライの台頭で「国のかたち」が形成

7世紀後半、天武・持統朝に「日本」という国号、「天皇」号が誕生し、天皇の宗教的権威も確立しました。当時の日本は、朝鮮半島の白村江で唐の海軍に大敗し、唐・新羅連合軍の侵攻に備えていました。初めて直面した国家的危機のなかで強力な天武政権が登場したのです。



この程度の危機に晒されるのは諸外国では日常的なことです。敵国と国境を接している状況では、突然敵軍が侵入し城塞が占領され、奪還できないときは外交戦略を駆使します。韓国の史書三国史記』を見ると、このような戦争と外交の記述であふれています。


結局、唐・新羅軍の侵攻はなく、平和な国際環境に戻りました。平安時代には貴族が権力を振るい、院政時代から平家執権時代を経て、鎌倉幕府が開かれます。13世紀の承久の乱天皇権力は大きく制限を受け、元寇のときは外交から国家の意思決定まで幕府が行なったのです。14世紀の南北朝動乱は、天皇権力の決定的な弱体化をもたらし、足利義満にいたっては王権簒奪まで目論みました。


以上のような、天皇が力を失って行く歴史は天皇制の弱体化過程と説明されます。しかし、この弱体化して行く過程がむしろ、日本ならではの王権が確立した歴史なのです。国の王権の性格は、その国の置かれた国際環境に大きく左右されます。周辺に敵国が存在するとき、王権は強硬になり、平和が続くと融和的になりました。日本は平和時代が諸外国と比較にならないほど長かったのです。武力を持たなかった天皇制存続の理由は、国内的な要因ではなく外からの脅威がなかった「島嶼平和国家」をめぐる事情によるものです。国際環境が平和な国なので、平和的王権が国情に適合し、平和的君主制が存続し、発展したと見るべきです。 


日本は武力、権力を持たない王朝が千年以上続きました。西洋では理想の王国を称す「千年王国」という言葉がありますが、このように長期間、ひとつの君主制が続くことは極めて稀で、それが国のあり方に与えた影響は計り知れません。天皇制が力を失ってゆく期間に、日本の統治システム、すなわち「国のかたち」が成立したのです。


日本を実質的に支配した「サムライ」も、島嶼独立国家の土壌から生まれた日本的なものです。武士は、源平抗争、南北朝動乱、戦国乱世など幾多の戦乱を引き起こしましたが、これは国内での主導権争い、政権争奪戦で、諸国が直面した外国との戦争とは本質的にちがいます。私達は大きな被害を受けることなく撃退した元寇について、後々まで底知れぬ恐怖体験として語り継ぎましたが、遥かに多くの人が死んだ戦国動乱に対しては元寇ほどの恐怖心を抱いていません。外国による侵略のインパクトは、同族で戦う国内戦とは次元を異にするのです。


このように武士団は、外敵から日本を防衛することも外国に侵攻することも想定せず、他の武士を抑えて国内の覇権を掌握し維持することを目的とする、国家生存と拡張の必要と結びつかない軍隊でした。幕府というものも「内向き」で「私的」な政権で、強力な軍事力を保持していてもこの国の枠を越える存在ではなく、大陸に覇権を拡大するなどというスケールの大きな野心やビジョンは持たなかったのです。



天皇は日本文化の中心である京都にあって、武家の上位に立つ正統君主でした。平和的な天皇を戴く武家政権というかたちは、平和を上位概念とし、武力を下位概念とする独自の国家体制で、日本は外からはサムライが治める「武の国」と見えても、国のあり方は、天皇を中心とする、明確に「文治の国」の形態をとる国家だったのです。

 

 

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本来の姿を変え、軍服を着る天皇になり、天皇制と島嶼独立国家は危機に陥った

 

 

天皇制の危機と島嶼独立国家の変質

天皇制と島嶼独立国家の危機は、外国に侵攻し、あるいは外国の君主制を取り入れ、天皇制と国家のあり方を改革した時に訪れました。豊臣秀吉は、アジアに覇を拡げ日本の国家体制を変革しようと企てました。彼の「唐入り(中国征服)構想」は天皇がアジア大陸で中国皇帝のような存在になるというもので、日本が帝国になれば「島嶼独立国家」は終焉し、天皇制も普通の王権に変質します。


力で君臨する者は更に大きな力によって滅ぼされます。秀吉の国家構想は、天皇制にとって極めて危険なものでした。中国征服を目指した文禄・慶長の役が失敗したことは、アジアにとっても日本にとっても幸いなことでした。



徳川幕府は伝統的政治体制である幕府制を踏襲し、天皇を上位の存在として戴く一方、日本のあり方を変える外国侵略を放棄しました。家光代までは、朝廷と幕府は葛藤を経ましたが、綱吉代となり関係は良好なものになりました。


近代になり、日本は西洋の国家制度を取り入れ、天皇制はヨーロッパ君主と似たものになりました。ヨーロッパの皇帝は軍の最高司令官で、軍人は皇帝に忠誠を誓い皇帝も軍服を着用しました。それに倣い、天皇も軍を統帥する最高司令官となり軍服を着る君主となったのです。これは大和朝廷を建てるために甲冑に身を固めた「大王」が近代に蘇ったと言え、千年かけて築いた平和的天皇制の性格が変えられ、島嶼独立国家が大きく変質したことを意味しました。


長いあいだ、天皇は対外戦争とは無関係でした。元寇の時に戦った武士や、文禄・慶長の役で戦った武将に天皇が最高司令官という意識はいささかもありませんでした。中世、近世期の最大の対外戦を指令したのは天皇ではなかったのです。天皇と軍事を結びつけた戦前の天皇制は日本の伝統と合致しないものでした。戦後、外国では理解困難な「象徴天皇制」が定着しましたが、それは伝統的天皇制とちかいものだったからです。


現在のヨーロッパ王室は政治権力がなく、国民の総意によって存在します。しかし天皇制との違いは、ヨーロッパの王室は、近世以降に、政治権力を持たない王室に変わったということです。それは民主主義を標榜する市民革命によるもので、革命政府が王の権力を奪ったのです。そのために王を処刑することさえしました。ところが天皇制は、民主的な政治体制とも共存可能な性格を、すでに中世期に備えていました。この特殊な君主制は、島嶼独立国家のみが成立させ得た王権で、日本が平和尊重の伝統をもつ国であることを示す歴史的証左でもあります。


ここまで、難解な議論、お付き合いいただきありがとうございます。次回は、Coffee Breakとして、スピリチュアリティーをテーマに届けしたいと思います。

 

 

 

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独立国・ジパングと、隷属国・イングランド (日・英・比較論)

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サムライ・地政学的優位が元寇撃退


島嶼独立国家・日本 -グローバリズムと戦う日本文明論-2》  


永田正治 (Masaharu Nagata) 

 

●はじめに

悠久な世界の歩みは、帝国が力を振るい、多くの国家、民族は主権を奪われましたが、第二次世界大戦後、諸国は次々と独立し、帝国の時代は終焉したかのようにみえました。しかし、それは真の独立ではありませんでした。確かに、「目にみえる帝国」は解体しました。それに代わり、「目にみえない帝国」が支配者として君臨するようになったのです。その帝国は「グローバリスト帝国」です。すなわち、歴史的に、諸国民は、可視の帝国と不可視の帝国、すなわち「帝国」というものに支配されたのです。しかし、日本は、明治以前まで、中華帝国の力が及ばない地政学的条件により、帝国から独立していました。ここでは、なぜ日本が、歴史的に帝国から自由であったかを、同じ島嶼国家であるイギリス史との比較も加え説明いたします。

本論に入る前に、ジパングという架空の国を紹介します。

 

 

島嶼独立国家・ジパング

ヨーロッパ・イベリア半島の西方海域、スペインの近くに「ジパング」という島国がある。この国は悠久の歴史を持ち、地理的、人種的にヨーロッパに属すが、大陸勢力に支配されたことがなく、西欧覇権闘争の圏外にあった幸運な国である。キリスト教は盛んだが、他国の圧力を受けたのではなく、自ら導入した。一方、ヨーロッパでは消滅した民族宗教も信仰しており、民族宗教儀式やキリスト教儀式を、生活の場面に応じて使い分ける独特な宗教的慣習を持つ。



近代になり、アジア文明にシンパシーを抱き、ヨーロッパ文明を軽視するようになり、「脱欧入亜」という言葉さえ登場した。後にヨーロッパ大陸に勢力を拡大し、フランスまで侵攻したが、多くの国を敵に回し敗北した。勤勉な国民なので、急速な復興を遂げ、今日では国際社会で重要な役割を担う国となっている。


ジパング」を理解するのは、他のヨーロッパ諸国のようにはいかない。この国が一体どの文明に属するか明確でないからだ。人々に聞いても、自分達の文明はヨーロッパの国々とは根本的に異なると言う。それではアジアかと言うとそうでもない。彼ら自身も明確な答えを持たない、謎の国だ。結局、多くの識者はこの国を、どの巨大文明圏にも属さない「ジパング文明」の国だと認識するようになった。


以上は、日本のあり方をヨーロッパの「ジパング」という架空の国に見立てて描写したものです。日本も大陸勢力に征服されたことがなく、仏教や儒教を自力で受容し、民族宗教である神道も滅びずに信仰しています。近代になり「脱亜入欧」の道を歩み、文明の帰属が曖昧です。ちなみに、ヨーロッパには「ジパング」のような文明帰属がはっきりしない国はありません。


通常、外国を観察する時には、その国がどの文明に属するか注目します。そこから演繹すると国のあり方から人々の価値観、周辺国家との関係など多くのことが分かり、行動の予測もかなりの程度可能になります。たとえば、スペインはヨーロッパ・キリスト教文明、イランは中東・イスラム文明、タイならば東南アジア・仏教文明を踏まえて考えられます。どの文明に属しているか明確でない「ジパング」のような国は、その国の「根」、すなわち国家のアイデンティティが分からないので、外国人には理解が難しく、異文化間の交流にハンディーを負うのです。


以上の話から始めたのは、ヨーロッパに場所を移し、「ジパング」という国を想定することによって、日本が諸国と異なる背景を持つことをはっきりさせるとともに、日本を「ジパング」を見るような客観的視点から観察していただきたいと思うからです。

 

 

                                                                        * * *

 

 

なぜ、日本が「島嶼独立国家」なのか?

日本は長く他国に支配されたことのない独立国家でした。「独立」は近代的概念ですが、日本史を貫く国際政治的状況を的確に表現できる言葉です。独立を担保した条件は、島嶼という地理的条件、高度な文明があり、軍事力が充実していたこと、中華帝国の対外政策のあり方と、大陸勢力との緩衝地帯として朝鮮半島が存在したこと。そして日本自身が大陸に侵攻して帝国を形成しなかったことです。



世界文明の流れは大陸から島嶼へと向い、エーゲ文明を生んだクレタ島のように、古代ギリシャ文明の先駆けとなった島嶼国もありましたが、これも背後にオリエント大陸文明があったため可能でした。島嶼地域は、大体において文明化と国家建設が遅れ、大陸文明に比べ弱体で、大陸勢力に容易に征服されました。それはイギリスのような国も例外ではありません。インドネシア、フィリピン、シンガポールなど東アジアの島嶼国も、やはり文明化と国家建設が遅れ、大陸勢力に征服されました。


旧大陸から見ると「大きな島」とも言える南北アメリカも、ヨーロッパ人によりインカ文明とアステカ文明が滅ぼされ、インディオは支配されました。このように島嶼地域や新大陸も、ユーラシア大陸の弱肉強食の現実から逃れることはできなかったのです。


しかし、島嶼国家に高度な文明と軍事力が備わると、大陸勢力といえども征服は簡単ではありませんでした。強力なナポレオン軍やヒトラーのドイツ軍が英本土に侵攻できなかったのは、ドーバー海峡の存在とイギリスが高度な技術文明と軍事能力を持っていたからです。


日本も元寇のとき、防備を固め、武士が抗戦し、モンゴル軍の上陸を阻んでいるあいだに、敵軍に台風が襲いました。大軍を動員できる文明力と、自然の要害としての海がひとつとなり侵略を防いだのです。このように攻撃側と守備側の文明水準に大きな差がない限り、海は堅固な要害であり得ました。


今日、島嶼国家は他国による脅威を免れ易く、治安は良好で、平和な社会を維持していることは、次のような調査からも明らかです。「経済・平和研究所(IEP)」が、戦争やテロ、軍事や犯罪など23の指標で数値化した2018年の世界平和度指数ランキングの上位10カ国は、



アイスランド、②ニュージーランド、③オーストリア、④ポルトガル、⑤デンマーク、⑥カナダ、⑦チェコ、⑧シンガポール、⑨日本、⑩アイルランドです。



10位圏のうち、アイスランドニュージーランドシンガポール、日本、アイルランドの5カ国は、島嶼国家なのです。196カ国中の39カ国という、全体国家数に占める比率が圧倒的に低い島嶼国家が5カ国も入っています。それは「島国」という地政学的条件が、平和の実現を容易にしていることを証明します。


日本が独立を維持できた国際的条件として、歴代中華帝国のほとんどが、建国期には拡大を図っても、安定を得ると、朝貢で国家間の上下秩序を形成することで満足する国だったからです。ローマ帝国のような、陸と海を遠征し領土を拡げた国や、イスラム帝国のように宗教伝播のため征服を行なう国が東アジアに君臨していたら、日本が独立を維持できたかは疑問です。


韓国の存在も重要です。朝鮮半島国家は侵略政策をとりませんでした。幾度か、中華帝国の軍勢が半島まで侵攻しましたが、漢は西北部のみを占領し、唐は新羅により撃退され、元は高麗に抵抗され元軍の日本侵攻を遅らせました。大陸勢力が膨張政策をとるとき、朝鮮半島が緩衝地帯となり日本は危機を免れたのです。朝鮮半島の存在と歴代朝鮮半島国家の行動が、日本の平和に貢献したことは否定できません。


日本が近代以前、文禄・慶長の役のほか外国を侵略しなかったことも、大陸勢力からの報復を免れ、大陸と島嶼の勢力圏分離がなされ、自国の安全を守ることにつながりました。日本自身が帝国建設を目指さなかったことが、結果としてこの国の独立と平和を維持することになったのです。以上のように、「島嶼独立国家」は島嶼という地理的条件、文明力、そして日本、中国、韓国という東アジア3カ国の行動により成立したのです。

 

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世界を代表する島嶼国、日・英。その相反する歴史的経験。




島嶼国家イギリスの苛酷な受難史

近世以降、島嶼国家として世界に強い影響力を持ったのはイギリスと日本でしょう。日本の特殊性を明確にするにはイギリスと比較するのが近道です。両国は王室を戴き、国民性も類似したところが少なくありませんが、対外関係史から見ると、中世までのイギリスの歩みは、日本と正反対と言えるほど苦難に満ちたものでした。


ブリテン島には紀元前7世紀頃からケルト人が居住していましたが、紀元前1世紀にカエサルが侵入し、後にローマの属州となり、122年にはハドリアヌス帝が北部に堅固な長城を建設しました。イギリスは早くも紀元前、ローマ帝国に征服され、4世紀半ものあいだ支配されたのです。この時代にローマ風文化が栄えキリスト教も伝わりました。


5世紀なかば、大陸からアングロサクソン族が侵入し、ケルト人を征服し「七王国」を建てました。この時期に文化は荒廃し、キリスト教会も姿を消してしまいます。6世紀後半、大法王と称えられたグレゴリウス1世は、40人の布教団を派遣し、イギリスにキリスト教を復興させました。グレゴリウス1世は若い頃、ローマで可憐なアングル人少年奴隷を見て、彼らに神を知らせようと決心したと言います。イギリスは再度のキリスト教化を契機に、文明が興隆して行ったのです。


ところが、11世紀になり、バイキング王カヌートに征服され、デンマークに併合されてしまいます。カヌートの死後アングロサクソン王家が復活したのも束の間、1066年、やはりバイキングの子孫でフランスに領土をもつノルマンディー公ウイリアムに征服され、以後イギリスは長く、フランス語を話す人々に支配されました。ヨーロッパはバイキングの跳梁に悩まされましたが、諸国はよくこれを防衛し、また、彼らに利益を与え懐柔しましたが、イギリスは完全に征服され、ふたつの王朝が建てられたのです。


以上のように、イギリスは幾度も異民族による侵略と支配を受けました。主要民族であるアングロサクソンケルト人の土地を奪った征服者であるとともに、ノルマン人によって支配された被征服民でもあるという複雑な歴史を経たのです。


反面、ローマという文明の光源から遠く離れているにもかかわらず、海を越えて行なわれたローマ帝国による征服とローマカトリックによるキリスト教化は、早くからイギリスを文明化しました。このようにイギリスは、大陸からの強力な働き掛けにより「国のかたち」ができ上がったのです。それが日本と決定的に異なる点です。


イギリスは大陸からの試練によって国際政治の厳しさを身をもって知り、したたかな現実主義を磨く一方、ローマ文明とキリスト教の受容によって文明度を高めました。この歴史的経験は後に七つの海を支配する大英帝国建設の礎となったのです。


イギリス史と比較すると、大陸勢力から征服や圧力を受けなかった日本が、どれほど特殊な歴史を持つ国であるか判ります。近代に日本は、アジアに覇権を拡大し帝国を形成しましたが、イギリスと比べ、国際関係において経験不足の帝国でした。


そもそも日本は、「帝国」と縁のない国で、他国から支配されたことも支配したこともなく、敵国と外交駆け引きを演じた経験すらほとんど持たない国でした。それが明治になるや、急に大陸進出をはじめ長く平和的に共存してきた隣国を支配したのです。日本が近代におこなった帝国建設は、民族の歴史的背景にそぐわない、極めて困難な政策だったのです。


 

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21世紀の奇跡・トランプ福音主義大統領とBrexit(イギリスのEU離脱)

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日本は反グローバリズムに舵を切れ!

島嶼独立国家・日本 -グローバリズムと戦う日本文明論-1》


永田正治 (Masaharu Nagata )

 

●はじめに

アメリカとイギリスは世界をグローバリズムに巻き込んだ二大国家です。なんと、その二カ国から、トランプ革命とBrexitという、強力な反グローバリズム運動が開始されました。これは世界史的大革命です。21世紀人類文明の運命はこの動きによって左右され、今日、世界平和戦略の最重要テーマは、反グローバリズム革命のゆくえなのです。

 

 

世界文明はグローバリズムからナショナリズム

世界の新潮流である、グローバリズムの終焉とナショナリズムの台頭は、政治、経済に止まらない文明現象というべきです。この文明転換は凄まじい勢いで進行しています。すでに、グローバリズムの限界は、1997年のアジア金融危機、そして2008年のリーマンショックで噴き出していました。当時、事態の原因を見抜いた人々は、強欲なグローバル金融資本が、人間の経済をメチャクチャにしていると警告しました。この混乱で、いったい、どのくらいの中小企業が破綻し、労働者の家族が路頭に迷い、経営者が自殺に追い込まれたでしょうか。グローバリストはこんな悲劇は、毛ほども眼中にありません。

 


2013年の11月、ローマ法王が、新自由主義経済がもたらす格差拡大、民主主義の危機、エリートの無責任を批判しました。2012年末から、日本における反グローバリズムの第一人者である馬渕睦夫が活動を本格化し、2014年には、エマニュエル・トッド氏と5人の学者の共著グローバリズムが世界を滅ぼす』が世に出、2015年には、トッド氏の、反EU、反グローバリズムの話題作、『〈ドイツ帝国〉が世界を破綻させる‐日本人への警告-』が注目を浴び、ようやく、日本人のグローバル経済に対する信頼も揺らぎ出しました。

 


そして奇跡の2016年を迎えます。6月23日、イギリス国民がEUからの離脱を選択し、11月8日、アメリカ国民は、ドナルド・トランプ氏を45代大統領に選出しました。驚くべきことに、世界をグローバリズムに引き入れた二大国家から、反グローバリズムの強力な動きが開始されたのです。それに対し、グローバリストはイギリスのEU離脱を阻止しようとし、トランプ大統領をロシアンゲートなどで引きずり下ろそうとしました。21世紀は、反グローバリストとグローバリストの対立が世界の運命を決する時代になりました。



日本は反グローバリズムに舵を切れ

日本は、反グローバリズムの潮流に率先して加わり、先駆的役割を果たすべきです。なぜなら、日本にとってこの文明の転換は、かつてなかった幸運なのです。日本文明が、「孤立」から、「世界の主流」に立つことができるからです。



文明の衝突の著者サミュエル・ハンチントン氏は、日本は「家族をもたない文明」であり、「危機に見舞われた場合、日本に文化的なアイデンティティを感じるという理由で、他の国が結集して支援してくれることを当てにできない国家」と指摘しました。アメリカはキリスト教文明で、ヨーロッパと繋がっています。韓国は、中華文明で中国と繋がっています。しかし日本は、日本文明という単一文明で、文明的に孤立しているとみます。これは驚くに足りません、堺屋太一氏も、日本がヨーロッパ・キリスト教文化圏とも東亜中華文化圏とも異なる「第五の文化亜大陸」であると論じ、司馬遼太郎氏は、日本がアジア的な原理で動いてきたことのない国であり、「初めから脱亜している国」であると断じました。



ですから「脱亜入欧」という言葉が成立します。脱亜という文明的挑戦は、日本が、アジアの停滞から抜け出し、発展させる力になりました。しかし、西洋諸国は日本を西洋文明の一員とは受け入れません。ですから、世界における、日本人の文明的アイデンティー確立は困難をともないました。西洋文明にもアジア文明にも属さない日本人は、文明的に自信をもって立つ場所がなかったのです。例えば、しっかりアジア文明に属するインド人や中国人、韓国人はアジア人としての自分たちを主張します。



しかし、世界の新潮流である反グローバリズムは、文明圏を問題にしません。反グローバリズムは、国家の独立性、国家主権を重視する思想です。同一文明圏の国家が集まって共同体をつくるものではなく、国家主権のうえにグローバル組織体が君臨するものでもありません。EUはキリスト教文明圏の共同体ですが、反グローバリズムはEUのような枠組みは認めません。鳩山由紀夫元首相が提唱した、東アジア共同体というグローバル組織も論外です。



すなわち、来るべき反グローバルリズムの世界は、文明圏の帰属を問わず、「国家の独立を尊重する文明」です。日本は、歴史的に、巨大文明である中華帝国に従属しなかった「島嶼独立国家」であり、その文明的立場が、反グローバリズムが目指す文明的立場と一致するのです。21世紀は日本に積極的役割を求める反グローバル文明が開かれようとしています。



なぜ、グローバリズムがいけないのか

「人・物・金」が、国境を越えてダイナミックに移動するグローバル経済は、人々を豊かにすると思われてきました。常識のように、新自由主義に基づく、グローバル市場、グローバル経済は、世界経済の発展に多大な貢献をすると信じられてきました。トランプ大統領登場まで、反グローバリズムなど、変わり者の異端説ぐらいにしか受け止められませんでした。



しかし、グローバル経済が進展し、今日の状況をみると、豊かになるどころか、貧富の格差が拡大し、多くの人々は貧しくなりました。今、日本は、非正規雇用者が4割を越え、国民の7人に1人が貧困にあえいでいます。これは数字に表れない部分でもっと実感できます。明らかに、国民は、公務員など安定した職場の人々と、もっと多数の、不安定な職場で低賃金で働かなければならない人々に、二分しました。多くの人々は、豊かさを体感できず、消費は増えず、慢性的デフレ経済に陥っています。また、世界の上位1%の富裕層が83%の富を独占する不均衡と、80人あまりのスーパーリッチが、途方もない富で、世界経済と政治まで左右する異常な状態。今や、それを多くの人が認識しています。



問題は、グローバル経済を動かす人々の「動機」です。それは富の創造、金儲けです。それも凄まじい強欲が肯定される世界で、強欲でなければ生き残れません。後進国家群から、安い商品と労働者を受け入れる流れが続いています。これで富むのは経営者だけです。先進国に押し寄せる安価な商品と労働力は、多くの人々の仕事を奪い、賃金を減らし、貧困をもたらしました。それが先進国アメリカでトランプ革命が起こった理由なのです。



また、グローバル経済は激しい競争をよびます。人々は、貧しくなる一方、苛酷な競争に勝ち抜かなければならず、労働はつらいものになります。日本人は従順で勤勉なので、忍耐していますが、競争について行けない人が増え、中年層の引きこもりが深刻化しています。



一方で、グローバル化とともに、外国人が増え、社会は不調和なモザイクのような分裂が起きています。外国人がゆるやかに増えるのは望ましいですが、急激に増加すれば深刻な問題になります。それはヨーロッパの現状が如実に示します。昨年12月の改正入管法で、5年間に35万人あまりの外国人労働者を受け入れますが、これは、日本社会の分裂を加速させます。まず、いま居住する外国人としっかり馴染み、ゆるやかに新しい外国人を受け入れる方針に転換すべきです。 



奇跡の大逆転

過去、グローバリゼーションは二度ありました。第1次グローバリゼーションは、イギリスを中心とし1870年代から始まり、結局、1914年の第一次世界大戦と、1929年の世界恐慌という悲劇で終焉しました。第2次グローバリゼーションは、アメリカ、イギリスを中心とし、1980年代から本格化し、現在に至ります。経済史専門家のH・ジェームス氏は「第一期のグローバリゼーションの時代と現代との統計的な比較を試みた経済学者は、たいていその相似性に驚く」と述べました。すなわち、今、私たちが住む世界は、過去、大戦争を引き起こした経済状況が再現している、極めて危険な時代なのです。



第2次グローバリゼーションの特徴は、様々に問題点が論じられ、人々に自覚され、その原因も特定されていることです。グローバリズムを推進しているのがグローバリストであり、その由来と影響も理解されています。世界の基軸通貨であるドルを発行しているFRB(Federal Reserve Board・連邦準備制度理事会)が、アメリカ政府の機関でなく、グローバリストの銀行家の機関であり、彼らがドルの発行権を掌握していること。覇権国家であるアメリカは、グローバリスト・ウォール街の「ディープステート」が、金の力で政治を動かし、そこに、グローバル巨大企業群が連なります。彼らこそ、世界を動かす真の勢力なのです。これらは、長く隠されてきましたが、今や、多くの人々が知るところとなりました。



このグローバリストの凄まじい力は、『聖書』の黙示録13章にある「だれが、この獣に匹敵し得ようか。だれが、これと戦うことができようか」と描かれる悪魔の獣のように圧倒的と思われました。しかし、2016年、アメリカのトランプ・福音主義大統領の登場と、Brexit(イギリスのEU離脱)で、形勢は一挙に逆転しました。これは、1985年にソビエト連邦ゴルバチョフ書記長が誕生したことと似ています。4年後の1989年にベルリンの壁が崩壊し、7年後の1991年にソ連が崩壊しました。今後、グローバリズム清算が行われ、社会主義の崩壊のような大激動の時代が現出しようとしています。これはまた、人類史上に数千年に一度の大きな文明史的大変革なのです。それを明らかにするのがこの論考の使命です。



世界史は、「グローバル帝国」の時代から「真の独立国家」の時代へ

歴史的に、文明圏は帝国により成立しました。帝国の力がなければ、高度文明を発展させるための広域の秩序が維持できなかったからです。ヨーロッパは、キリスト教のグローバル文明圏を形成しましたが、ローマ帝国フランク王国神聖ローマ帝国スペイン帝国など、強大な帝国が支配しました。近世以降、ヨーロッパは世界に拡大し、南北アメリカオセアニア、フィリピン、アフリカ地域にキリスト教文明圏を拡大しました。



イスラム教のグローバル文明圏は、中近東、アフリカ地域を基盤に、ウマイヤ朝アッバース朝、ファーチマ朝、セルジューク朝オスマン朝などのイスラム帝国が広域を支配しました。15世紀以降は、アジアを東進し、バングラディシュ、インドネシア、マレーシアまで、イスラム教文明圏を拡大しました。



中華帝国は、秦、漢、唐、宋、元、明、清などの王朝が、少数民族や周辺国を従わせ、漢字、儒教道教、仏教などを基にする中華文明を広げました。韓国は中国に従属し、中国文明圏に属する国家でした。しかし、日本は中華帝国に従属しない国家で、独立を堅持してきました。あのモンゴル帝国の元が侵攻してきた時も、勇敢な武士団が果敢に跳ねのけました。日本は、強大な中華帝国が近くにありながら、国家主権を維持した独立国家でした。これは、人類史に稀なことなのです。あのイギリスも、大英帝国を形成する以前は、長くローマ帝国やバイキングの国家に支配されたのです。



また、アメリカは、ヨーロッパの植民地から出発し、イギリスから独立した国家で、今日、世界の覇権を握る国家になりました。独立後は、ヨーロッパの抗争に巻き込まれるのを嫌い、他国の政治に不介入主義をとりました。この国は、強力な国家でありながら、ヨーロッパ列強のような帝国を目指さなかった、実に稀な大陸国家なのです。このようなアメリカは「大陸独立国家」ということができます。



隣国の韓国は、長く中華帝国に従属してきました。しかし、理解すべきは、韓国のあり方が世界のスタンダードなのです。世界の諸国家、諸民族は、自ら、帝国になるか、帝国に服従するかの道を歩んだのです。特に韓国は、多くの侵略を受け、大陸の弱肉強食の苛酷な運命にさらされた国家でした。モンゴルの侵略と豊臣秀吉の文禄慶長の役で甚大な被害を受けましたが、それは韓国が要衝にある国家だったからです。中華帝国が日本を攻めるとき、韓国は通過しなければならない要衝地で、反対に、日本が中国を攻めるとき、韓国は通過すべき要衝地になるのです。



今日、韓半島を中心とする、中国、ロシア、アメリカ、日本のパワーゲームも、基本的に同じ構造です。このような韓国を「半島要衝国家」と呼ぶことにします。長く韓国は、反共を国是とする、しっかりと自由主義陣営に帰属する国家でした。しかし、今、この国は、文在寅・共産政権が立ち、共産グローバリスト国家といえる北朝鮮と中国に飲み込まれようとしています。この論考では、島嶼独立国家・日本と、大陸独立国家・アメリカが堅く手を握り、半島要衝国家・韓国を正しい道に戻るように働きかけ、アジア太平洋地域の安全を確保する道を探ります。



世界の歴史は帝国が主役でした。第二次大戦後、諸国は独立し、国家主権が重んじられ、各国が自主的に国家運営をし、発展する時代になったと思いました。しかし、世界に帝国はなくなりましたが、実質的に世界を支配するのは、国家を越えて暗躍するグローバリストたちでした。見える帝国から見えない帝国に変わったのです。トランプ革命によって開かれようとする新しい時代は、かつての歴史になかった、グローバル帝国が支配しない、真実に独立した諸国家の時代です。21世紀の世界は、少数のグローバリストが金で世界を動かす、見えない帝国を打ち砕き、諸国がしっかりした国家主権を有し、共生、共栄のために融和し発展する、真にインターナショナルな世界を創らなければなりません。まさに、反グローバリズムの勃興は人類史的挑戦なのです。

 

 

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何故、イエスは22億人を抱擁できたのか?ー体験のちからー

 

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何故、イエスは22億人を抱擁できたのか?

 

永田正治 (Masaharu Nagata )

 

 はじめに

つづけてスピリチュアリティーでは、消化不良を起こさないか心配になりまして、今回は宗教にいたしました。スピリチュアリティーの続きは5月10日ごろお届けしたいと思います。

 

 

哲学&宗教 

哲学と宗教が追求するものは、万有の原因的存在、世界と人間の存在意義、幸福の実現と善の実践などです。追求するものは同じでも、哲学や思想を学ぶ人は少数で、宗教を信じる人は多いのです。この差は何なのでしょうか。


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アテネの学堂

 

 

哲学と宗教のちがいを示す、ルネッサンス期の芸術作品があります。ラファエロの「アテネの学堂」は、プラトンアリストテレスを中心に、58人の哲学者や科学者が、議論し、あるいは書を読み、文章を書き、思索などをしている姿が描かれています。ピタゴラスプトレマイオスなど、人類の知的発展にすぐれた貢献をし、人々から尊敬される学者が集っています。

 



ここにいるのは高い知性をもつ人たちです。普通の人は、彼らの輪に入ってゆくことはできません。これは現代も同じで、哲学や思想について学問的に論じられる人は、千人に一人もいません。彼らはノーベル賞受賞者のような秀でた知能をもつ、極めて希少な人々です。

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ダビンチ「最後の晩餐」

一方、ダビンチの「最後の晩餐」は、イエスを中心に12弟子が描かれています。イエスの一番弟子ペテロをはじめ、主だった弟子は漁師でした。その他の弟子もユダヤ社会の指導階層や神学者はいません。むしろ、律法を知らない無学な階層の出身者、人々から嫌われた取税人とその兄弟などで構成されていました。

 



ここにいるのは普通の人やハンディーを負う人々です。そもそもイエス自身が、罪人として死に追いやられることになるのですから、社会的には全員が、犯罪者に従う愚か者ということになります。ラファエロの「アテネの学堂」の面々とはあまりにも開きがあります。

 



しかし、この12弟子のあり方は、誰でもイエスの弟子になれるということを意味します。エルサレムの片隅に追いつめられた一群は、今日、22億人のキリスト教信者に拡大し、世界最大の宗教を形成しました。宗教が偉大なのは、すべての人が参加できる、大きな輪であることです。

 



宗教が、このように多くの人を包括できるのは、信仰というものが、「知」ではなく「体験」で持てるものだからです。イエスは数おおくの奇跡を行いましたが、奇跡を見た人は驚くべき体験をした人々です。弟子たちはいきなり強烈な体験をさせられました。ペテロや漁師の仲間は、イエスの言葉に従って網を下ろしたら大漁になり、この人は普通の人ではないと思い従いました。高い知性をそなえたパウロでさえ、イエスを信じるようになったのは「教義的知識」ではなく、まぼろしを見、イエスの声を聴いた「宗教的体験」だったのです。





体験は知を包括 

 

 仏教の知も「悟り」を得るための叡智で、現実的な知ではありません。悟りを得るためには、瞑想、座禅、念仏など、宗教的体験を積み重ねなければならないのです。

 



日本を代表する哲学者西田幾多郎は、「神は我々の自己に心霊上の事実として現れるのである。神は単に知的に考えられるのではない。単に知的に考えられるものは、神ではない」と言っています。西田も宗教を知るため座禅をしました。宗教を真に理解するには、心霊上の事実、すなわち「宗教的体験」が必要なのです。

 



人類は旧石器時代、死者を埋葬するとき、花などの副葬品を埋めた形跡があり、すでに宗教意識が生まれていました。文明以前に宗教はあったのです。宗教心とは、森羅万象にそなわる真・善・美に霊性を感じ、生活で遭遇する神秘的体験が加わり、人の心に自然に生まれるものではないでしょうか。文明が開始しても、多くの人々は文字も読めず、信仰とは、神聖なものを拝み、祈り、願をかけるという「体験」の日常化でした。

 

 


そもそも、仏教の受容も、仏像の慈悲深い姿を見てありがたく感じたからです。戦国時代のキリシタン信仰も、人々がキリスト教の祈り、聖歌、十字架、ロザリオ、聖像などが発するつよい神秘に打たれ爆発的に広がったのです。あの恐ろしい織田信長やしたたかな豊臣秀吉も、カトリックグレゴリオ聖歌を聞いて感動しました。秀吉は、3度もリクエストしたそうです。これも立派なキリスト教体験です。

 



人は、体験で親の愛を知ります。同じように、神の愛を知るのも体験なのです。宗教者にとって「知」は、「体験」に包括されます。知は必要ですが、その「知」はむしろ、「知識」で捉えられない「目に見えない霊的価値」を悟ることができる「知」です。僧侶は、経をあげ、あるいは禅を組み、苦行することなどによって信仰を深めました。「体験」がもっとも重要で、「知」は信仰をささえる一要素なのです。





ささいな体験が貴い種に 

また、「宗教的経験」は、熱心な人のみができる難しいものだけではありません。仏教者は、人と仏教のささいな出会いも「仏縁」として大事にします。これは小さな体験も貴い種になるという優れた智慧です。

 



おなじように、宗教はさまざまな「方法」を講じ、あるいは「もの」を通じて、信者に宗教的体験を提供します。礼拝などの集会、儀式、祝祭、聖地巡礼、出版物やインターネットなどによる教育や情報提供、また、お守り、置き物、絵画、写真などの「スピリチュアルグッズ」、数えたらきりがありません。サンクチュアリ教会もおなじです。

 

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荒削りだが親しみがある円空仏

 

昔も、寺社が発行する「お札」が信仰を育みました。修行をつんだ僧侶や修験者などが各地を巡り配るお札は、霊験あらたかと尊ばれました。一方、円空は、諸国をめぐり自分が削った12万体の仏像を庶民に配ったのです。

 



伊勢参り善光寺参り、初詣、もっと言えば旅行も宗教的体験になります。お寺に足を踏み入れれば、仏教とは何かを感じることができます。教会に入ったら、キリスト教信仰の深みを感じます。

 



体験は、信仰の初歩であり導き手です。体験をきっかけに信仰をもち、体験を通じて神のはたらきを感じ、神とともに生きるようになるのが信仰の成長です。

 



西田幾多郎「単なる理性の中には、宗教は入ってこないのである」と述べ、宗教と哲学に関しては、「宗教的意識というのは、我々の生命の根本的事実として、学問、道徳の基でもなければならない。宗教心というのは、特殊の人の専有ではなくして、すべての人の心の底に潜むものでなければならない。これに気づかざるものは、哲学者ともなり得ない」と断じました。

 



宗教的意識は生命の根本であり、すべての人が生まれながら備えています。ですから、すべての人が、難解な「知」ではなく、誰にでもできる「体験」で、宗教という素晴らしいものを手に入れることができるのです。

 



人との交流も同じです。「知」で自他を分別したら対話は成り立ちません。他者の「体験」を尊重し、その体験をさせた、偉大な神の愛を中心に交流するものです。

 




ここで一旦、宗教、スピリチュアリティーから、日本の国家戦略構築に移ります。平成最後の日である30日にスタートいたします。テーマは、島嶼独立国家・日本 -グローバリズムと戦う日本文明論-」です。難しいテーマですが分かり易く解説するよう努めます。お付き合いいただければ感謝です。

 

 

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宗教者の苦悩とスピリチュアリティ―

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宗教とスピリチャリティーは異母兄弟

 

永田正治(Masaharu Nagata)

 

●はじめに

宗教者にとって、スピリチュアリティ―は理解が難しい。しかしそれは、異母兄弟のような関係なのです。今回はその解説を試みます。

 

 

宗教意識の変化

私たちは、地球がまるいことを知り、太陽系に属し、更に150億光年という大きさの宇宙空間が広がっていることを知っています。気象変化や地震発生のメカニズムを知り、細菌やウイルスが病気を引き起こすことも知っています。

 

 

しかし、科学が発展する前の人々は、そんなことは知りませんでした。そのため、世界を神話的、宗教的に理解するしかなかったのです。一神教圏の人々は、世界は神が創造したと信じ、アニミズム宗教圏では、自然に神が宿っていると信じました。天変地異は神の怒り、病気は悪鬼の仕業と考えたのです。福の神、怨霊、そして魔女は架空の存在ではありませんでした。昔の人は、現代人には想像できないほど宗教的だったのです。その素朴な宗教心は、高度な教えをもつ世界宗教により、大きな信仰集団としてまとめ上げられました。

 

 

ところが、科学の発展のおかげで、生活の安楽や医学の進歩という大きな恩恵を受けるようになると、人々は科学を崇拝し、素朴な信仰心は非科学的なものとして排斥するようになりました。思想的には世俗主義と、宗教をアヘンとする共産主義が広がり、人々の宗教離れが進んだのです。宗教を考えるには、この、悠久の「宗教の時代」と、近代の「科学の時代」を踏まえなければなりません。

 

 

しかし、20世紀の70年代頃から、宗教には再び巨大な地殻変動が起きました。科学の限界と発展にともなう弊害が明らかになり、唯物的共産主義も後退し、人々の考えは次第に宗教回帰しはじめたのです。神や仏、死後の世界、輪廻転生、超自然現象を信じる人が増え、いまや「宗教」は、価値観の主流に戻りつつあるかのようです。

 

 

 

スピリチュアリティ―の台頭と教団宗教の悩み

問題は、人々の宗教心が復興しても、従来の「教団宗教」に戻ってきた訳ではないということです。現代人の「宗教」は、昔の「宗教」とかなり変わってしまいました。スピリチュアリティー、占い、ヨガ、瞑想法、宗教的なテレビ番組、映画、ゲーム、また、妖怪、都市伝説、ホラーなど、社会には「宗教的」なものがあふれています。

 

 

人々はこのような「スピリチュアリティ―・広義の宗教」を求めて、それで満足しているのです。単純に、「教団に入信することが宗教をもつこと」ではなくなりました。ここ数十年のあいだに「宗教」のあり方が劇的に多様化したのです。そして、宗教者は、それが何なのか判断できません。宗教者はこの新事態のなかで、社会における宗教の位置や意義を見失いました。その状況は、宗教者に、深刻なアイデンティティーの危機をもたらしていると言えます。

 

 

正体の知れない「宗教」が氾濫する現代は、唯物主義が強かった時よりも、むしろ伝道が難しい時代になりました。宗教者にとって、科学万能時代に宗教を主張するほうが、反宗教に立ち向かうという二極構図で、やり易かったのではないでしょうか。このように、現代社会は、「宗教とはなにか?」が難しいテーマになり、宗教の大混乱期にあるといっても過言ではありません。

 

 

「どこまでを宗教と捉えるか?」は人によって違います。教団宗教以外は宗教ではないという立場もあるでしょうし、宗教的なものを含んでいるものは、宗教のひとつと考えるべきという立場もあるでしょう。ともあれ私たちは、今までの宗教が経験したことのない、混沌とした宗教的環境のなかで生き、宣教しなければなりません。

 

 

 

科学と東洋思想の融合

意外にも、スピリチュアリティーの背景には、科学の発達があります。アインシュタインなど世界的な物理学者が、世界の本質は探れば探るほど、東洋哲学に近づくと言っています。

 

 

20世紀を代表する理論物理学者のひとりであるデヴィッド・ボームは、宇宙は目に見える宇宙(明在系)と、目に見えない宇宙(暗在系)からなり、暗在系宇宙は、素粒子が霧のような状態に渾然一体をなしており、そこには、「自他の区別がない」という仮説を立てました。スピリチュアルな理解では、明在系宇宙が、現世という自我を持って生きる仮の住まいで、この暗在系宇宙こそ、完全調和の、無我で生きる霊的世界だと考えることができます。

 

 

このように、現代科学はスピリチュアリティーを肯定する傾向があります。先進科学と東洋哲学は、「無」、「空」、「広大無辺な宇宙観」、「全ての存在はつながっている」などという世界観を共有し、互いに引きつけ合うものなのです。

 

 

このようにスピリチュアリティーは、科学的な成果と、仏教や老荘思想などの東洋思想をはじめ、キリスト教や、霊的な宇宙人に至るまで、様々な「宗教」を取り入れています。そして、排他性がなく、他と壁を置かないので、探究者は各種の書籍を自由に読み、ユニークな精神世界をつくっています。巨大なスピリチュアル・ワールドは、入口が多く、性格もさまざまで、系統で分類するのは容易ではありません。

 

 

あまりに多様なので混沌とした印象も受けますが、おおくに共通するファクターをとりあげ特徴をまとめて見ましょう。

 

 

① 現代はアセンションという霊的覚醒の時代に突入し、人々の魂が急速に進化している。

 

② 人類は、「宇宙の心」(神)とつながらなければならない。

 

③ 思いは現実化し、引き寄せの法則で、自分の心に合った周辺環境がつくられ、自分と似た心を持つ人が集う。

 

④ 偶然というものはなく、全ての出来事には何らかの意味があり、人は、偶然と思われることの背後にある、シンクロニシティ(共時性・同時性)に気づくことが重要。

 

⑤ エゴというネガティブな波動エネルギーを避けなければならない。

 

⑥ 宇宙の霊的エネルギーを受容し、明るく積極的な思考を持つべき、などです。

 

現代が宇宙史のなかで特別な時代というのは、多くの宗教もおなじです。スピリチュアリティーは、一刻も早く人々が、宇宙精神(神)が、ご自身の理想実現に向け世界を導いていることに気づき、新時代の到来に合わせ霊性を高めなければならないという、未来志向的な終末思想をもちます。

 

 

宗教とスピリチュアリティーは「異母兄弟」

スピリチュアリティーの主張は、ニュアンスの差はあっても教団宗教と重なります。しかし、宗教間対話のような、教団宗教とスピリチュアリティーの交流はありません。両者には大きな違いがあるからです。

 

 

それは「指導者」のあり方がちがうのです。教団宗教の教祖は、教えを説き、弟子を導いて、必ず、「信仰共同体」の形成を目指します。教祖の教えは教団の教義、指針となり、死後には生前より篤い崇拝を受けるのです。

 

 

一方、スピリチュアリティーの提唱者は、ひとりの啓蒙者、霊能者で、教団は創設せず多くの人を組織することはありません。しかし反対に、教団を越えた、「大衆的影響力」を持つことができます。

 

 

教団宗教は、経典を学ぶこと、信仰をともにする教友と交わることが重要です。また、大衆に発信することよりも、外には伝道、内には信仰教育を行い、信仰が子孫に継承されることを重んじます。教団宗教は、「数千年もつづく精神的共同体の形成」をめざし、スピリチュアリティーは、「現代における精神的啓蒙」をめざすものです。

 

 

すなわち両者は、「父である宇宙精神」は同一の存在で、おなじ目的をもちますが、「母である提唱者」が、教祖か啓蒙者かという決定的違いがあり、主張の伝播方法も異なるのです。

 

 

わたしたち教団宗教が、大衆的発信力を高めるには、スピリチュアリティーから学ばなければなりません。それには、宗教者がスピリチュアリティーの人々と交わり、「宗教」を越え、スピリチュアリティーをふくめた「精神世界」にまで関心を広げることが求められます。「異母兄弟」のように似ている両者は、人を幸福にするという本来の目的を達成するため、交流、協力を進めるべきです。

 

 

 

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宗教とUFО・宇宙人

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人類は宇宙の創成について共通見解を持つに至っていない。

 

 

永田正治(Masaharu Nagata)

  

●はじめに

今から3回、スピリチュアリティ―に関してお伝えします。スプリチュアリティーは、「広義の宗教」、あるいは「宗教的な文化」ということができます。現代文化はスピリチュアリティ―抜きに語れません。アニメのテーマなど、ほとんどスピリチュアリティーといえます。伝道していて、スピリチュアリティ―に関し話す必要に迫られることもあるでしょう。ここでは、私たち宗教者の立場から、スピリチュアリティ―をどう捉えればいいか論じます。まず、説明より、ずばり、具体的なテーマを紹介しましょう。UFO・宇宙人についてです。次回に、スピリチュアリティ―について説明します。



宗教的な宇宙人

 

 UFOや宇宙人と言えば、SF小説にあらわれる、未来科学的な仮想存在でした。ところが最近は、スピリチュアリティーや宗教の一部で、宇宙人が科学力とともに、強力な霊能力をもつ存在とみて、近未来に、人間と接触し、人類の科学と霊性が飛躍的に高まる時代が到来すると主張します。テレビでも、UFOと遭遇するために、呪文や祈祷をしますが、これは宇宙人が、人間の霊的、宗教的行為に反応する存在と想定していることを示します。



多くの宗教者は「霊」は実在するが、「宇宙人」は架空の存在と感じていると思います。論じるに足りないと即座に否定する人も少なくないでしょう。しかし、今日、UFO・宇宙人を肯定する傾向は無視できず、宗教者はそれについて考え、論じる必要があります。



そもそも、宗教にとってUFO・宇宙人というテーマは扱いにくいものです。宗教では高度な知性をもつ存在は限られます。キリスト教では「神・天使・人間」多神教では最高神・神々・人間」、仏教では「諸仏・諸神・人間」です。人間以外は肉体をもたない、目に見えない存在で、肉体をもち、高度な知性をもつ存在は想定しません。ながく宗教者にとって、UFO・宇宙人は想定外の存在です。



銀河帝国の興亡」や「アイ・ロボット」を書いた、ユダヤ系の生科学者でありSF小説の巨匠アイザック・アシモフは、「UFOなどを信じる人の気が知れない」と強く否定しました。「銀河帝国の興亡」は、遥かな未来、銀河系宇宙に高度な文明が無数に存在しますが、そこに住む「宇宙人」は、地球から移住した人々で、人間ならざる宇宙人の存在は想定しません。一方、スターウォーズやアニメのドラゴンボールなどは、人間ならざる宇宙人が登場します。昆虫や動物が進化して、高度な知的存在になったという想定です。



ふつう宗教は、人間と自然界から成るこの地球のあり方が、神の創造の「基本デザイン」と考えます。しかし、昆虫や動物が進化した、人間ならざる宇宙人が存在するならば、宇宙には私たちの世界と大きく異なる世界が存在することになり、地球のあり方が神の基本デザインとは言えなくなります。そのため、宗教者にとって、人間ならざる宇宙人の存在は想定しにくいものです。

 

 

宇宙・霊界・宗教

ビッグバーンから200億年という宇宙的時間からいえば、人類文明はわずか5000年あまりという「瞬間」です。すなわち、宇宙の途方もない時間のなかで、おなじ今の「瞬間」に、高度な文明をもつ生命体が存在し、人類がそれと出会うこと自体が、確率的に困難といえます。いたとしても、150億光年という天文学的な広さをもつ宇宙空間を飛行して地球に来ることが可能かという問題があります。秒速30万キロですすむ光が、一年で到達する距離が1光年です。その150億倍が宇宙の大きさです。ふたつの高度文明は、無限ともいえる宇宙的スケールの時間と空間のなかで、極小の接点で出会わなければならないのです。まさに「アマゾンにいるアリが、一分以内に北海道にいるアリに生きて会う」以上の困難さがあります。



この広大な距離を飛び越えるため、ワープという、空間のゆがみを利用して瞬間移動する宇宙航法を想定します。しかし、広大な宇宙空間を克服できたとしても、悠久の宇宙時間も克服できなければ、文明が出会うのは途方もなく困難なことです。



そのため、時空を超越した「霊界」、あるいは「四次元空間」を通過して、宇宙人が地球に到来するとしています。霊界や四次元空間は、時間と空間を超越した世界と考えられますから、論理的には可能です。



しかし、科学の力で時空を自由に超越できたら、そもそも時間と空間の制約のなかにある、この世界の存在意義とは何なのか。とくに時間の問題では、タイムマシーンで、過去や未来に行き、自分の過去や将来、世界の歴史や行く末を勝手に編集できたら、私たちの人生や人類の歴史の意味が失われてしまいます。



実はこれは哲学の議論の対象になってきた問題です。日本を代表する哲学者、西田幾多郎は、時間は不可逆だと言っています。時間は不可逆、不可超越で、「今」が、先端にある唯一の時間的世界であり、神、人間、自然界、全ての存在が、おなじ「今」という時間を共有しているのではないでしょうか。


エスや釈迦、孔子など多くの聖人も、時空を超越した存在だったわけではありません。時空の制約の中で生き、自分の未来すら明確に知ってはいませんでした。私たちとおなじ短い人生をあゆみ、そのなかで濃厚な愛と慈悲の実践をし、永遠に変わらない不変の真理を教えた人々です。



宗教は過去にポイントをおく

UFO・宇宙人を精神世界と結びつけて論じる姿勢は、既成宗教の枠を越えた、「未来志向」の宗教観と見ることもできます。しかし、宗教における「未来志向」は、過去の克服が前提になります。宗教は、この世が不完全であるかぎり、過去から引き継いだ、因果の宿命と戦うことに意味があり、苦しみの甘受、自己犠牲による罪の贖いなどが求められます。


三大聖人は皆、2000年以上前の人で、献身的、犠牲的人生をおくりました。宗教とは、過去の聖人の教えを大きな光源とし、現在に生きる私たちがその光を受けとめ、未来へ反射させるものです。宗教はまず、過去を踏まえなければなりません。宗教者が伝統を固く守り、過去を忘れないようにするのもそのためで、遠い過去に書かれた教典を学び、お坊さんは髪を剃り、袈裟を着ます。



宗教者にとって、科学と霊能をもつ宇宙人と交流し、宗教と世界の新しい時代が開かれるというのは、なかなか理解できない未来像です。むしろ、人間がおかした過去のあやまちと間違った価値観を、聖人の教えで悔い改めることによって、宗教と世界の新しい未来が開けると考えます。過去の問題を解決するのが宗教の大事な使命です。



「宇宙時代」へのコミュニケーション

いろいろ論じてきましたが、UFO・宇宙人問題は難しい議論です。人間は、いまだに死んで霊界に行くのか、輪廻するのかという問題すら結論を得ていません。自分の死後もはっきりしないのに、UFOや宇宙人のことが分かるはずがありません。UFO専門家である矢追純一氏も、UFO・宇宙人のあり方は、きわめて複雑で混乱していると指摘するように、この問題は簡単には結論づけられないものです。


宗教者の多くは、UFO・宇宙人は霊的存在ではないかと考えています。一方で、UFO現象は多くの人が目撃するとともに、UFO・宇宙人の実在を信じロマンを感じる人もたくさんいます。



今日、宇宙開発はすすみ、人類は宇宙に進出し、いつかは「宇宙時代」が到来します。アシモフが想定したように、未来の宇宙には、人間が移り住み人類文明を拡大するのか、それとも、人間ならざる宇宙人と遭遇し、彼らの文明と共存するのか、という二つの未来図を描くことができます。こんな「宇宙時代」の様相について様々に議論するのは面白いことです。



「UFO・宇宙人否定派」は、肯定説を荒唐無稽と感じ、「肯定派」は、否定説を頭が固いと感じるでしょう。認識は食い違いますが、双方が相手をバカにしないで真摯に議論すべきです。そうすれば、新しい、良いものが生まれてきます。とくに、宇宙的スケールの世界観をもつ、「法華経」を学ぶ宗教者は独自の見解があると思います。UFO・宇宙人問題は、「輪廻か霊界か?」のように、異宗教コミュニケーションで自由に語り合うことができる興味深いテーマです。 

 

 

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