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独立国・ジパングと、隷属国・イングランド (日・英・比較論)

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サムライ・地政学的優位が元寇撃退


島嶼独立国家・日本 -グローバリズムと戦う日本文明論-2》  


永田正治 (Masaharu Nagata) 

 

●はじめに

悠久な世界の歩みは、帝国が力を振るい、多くの国家、民族は主権を奪われましたが、第二次世界大戦後、諸国は次々と独立し、帝国の時代は終焉したかのようにみえました。しかし、それは真の独立ではありませんでした。確かに、「目にみえる帝国」は解体しました。それに代わり、「目にみえない帝国」が支配者として君臨するようになったのです。その帝国は「グローバリスト帝国」です。すなわち、歴史的に、諸国民は、可視の帝国と不可視の帝国、すなわち「帝国」というものに支配されたのです。しかし、日本は、明治以前まで、中華帝国の力が及ばない地政学的条件により、帝国から独立していました。ここでは、なぜ日本が、歴史的に帝国から自由であったかを、同じ島嶼国家であるイギリス史との比較も加え説明いたします。

本論に入る前に、ジパングという架空の国を紹介します。

 

 

島嶼独立国家・ジパング

ヨーロッパ・イベリア半島の西方海域、スペインの近くに「ジパング」という島国がある。この国は悠久の歴史を持ち、地理的、人種的にヨーロッパに属すが、大陸勢力に支配されたことがなく、西欧覇権闘争の圏外にあった幸運な国である。キリスト教は盛んだが、他国の圧力を受けたのではなく、自ら導入した。一方、ヨーロッパでは消滅した民族宗教も信仰しており、民族宗教儀式やキリスト教儀式を、生活の場面に応じて使い分ける独特な宗教的慣習を持つ。



近代になり、アジア文明にシンパシーを抱き、ヨーロッパ文明を軽視するようになり、「脱欧入亜」という言葉さえ登場した。後にヨーロッパ大陸に勢力を拡大し、フランスまで侵攻したが、多くの国を敵に回し敗北した。勤勉な国民なので、急速な復興を遂げ、今日では国際社会で重要な役割を担う国となっている。


ジパング」を理解するのは、他のヨーロッパ諸国のようにはいかない。この国が一体どの文明に属するか明確でないからだ。人々に聞いても、自分達の文明はヨーロッパの国々とは根本的に異なると言う。それではアジアかと言うとそうでもない。彼ら自身も明確な答えを持たない、謎の国だ。結局、多くの識者はこの国を、どの巨大文明圏にも属さない「ジパング文明」の国だと認識するようになった。


以上は、日本のあり方をヨーロッパの「ジパング」という架空の国に見立てて描写したものです。日本も大陸勢力に征服されたことがなく、仏教や儒教を自力で受容し、民族宗教である神道も滅びずに信仰しています。近代になり「脱亜入欧」の道を歩み、文明の帰属が曖昧です。ちなみに、ヨーロッパには「ジパング」のような文明帰属がはっきりしない国はありません。


通常、外国を観察する時には、その国がどの文明に属するか注目します。そこから演繹すると国のあり方から人々の価値観、周辺国家との関係など多くのことが分かり、行動の予測もかなりの程度可能になります。たとえば、スペインはヨーロッパ・キリスト教文明、イランは中東・イスラム文明、タイならば東南アジア・仏教文明を踏まえて考えられます。どの文明に属しているか明確でない「ジパング」のような国は、その国の「根」、すなわち国家のアイデンティティが分からないので、外国人には理解が難しく、異文化間の交流にハンディーを負うのです。


以上の話から始めたのは、ヨーロッパに場所を移し、「ジパング」という国を想定することによって、日本が諸国と異なる背景を持つことをはっきりさせるとともに、日本を「ジパング」を見るような客観的視点から観察していただきたいと思うからです。

 

 

                                                                        * * *

 

 

なぜ、日本が「島嶼独立国家」なのか?

日本は長く他国に支配されたことのない独立国家でした。「独立」は近代的概念ですが、日本史を貫く国際政治的状況を的確に表現できる言葉です。独立を担保した条件は、島嶼という地理的条件、高度な文明があり、軍事力が充実していたこと、中華帝国の対外政策のあり方と、大陸勢力との緩衝地帯として朝鮮半島が存在したこと。そして日本自身が大陸に侵攻して帝国を形成しなかったことです。



世界文明の流れは大陸から島嶼へと向い、エーゲ文明を生んだクレタ島のように、古代ギリシャ文明の先駆けとなった島嶼国もありましたが、これも背後にオリエント大陸文明があったため可能でした。島嶼地域は、大体において文明化と国家建設が遅れ、大陸文明に比べ弱体で、大陸勢力に容易に征服されました。それはイギリスのような国も例外ではありません。インドネシア、フィリピン、シンガポールなど東アジアの島嶼国も、やはり文明化と国家建設が遅れ、大陸勢力に征服されました。


旧大陸から見ると「大きな島」とも言える南北アメリカも、ヨーロッパ人によりインカ文明とアステカ文明が滅ぼされ、インディオは支配されました。このように島嶼地域や新大陸も、ユーラシア大陸の弱肉強食の現実から逃れることはできなかったのです。


しかし、島嶼国家に高度な文明と軍事力が備わると、大陸勢力といえども征服は簡単ではありませんでした。強力なナポレオン軍やヒトラーのドイツ軍が英本土に侵攻できなかったのは、ドーバー海峡の存在とイギリスが高度な技術文明と軍事能力を持っていたからです。


日本も元寇のとき、防備を固め、武士が抗戦し、モンゴル軍の上陸を阻んでいるあいだに、敵軍に台風が襲いました。大軍を動員できる文明力と、自然の要害としての海がひとつとなり侵略を防いだのです。このように攻撃側と守備側の文明水準に大きな差がない限り、海は堅固な要害であり得ました。


今日、島嶼国家は他国による脅威を免れ易く、治安は良好で、平和な社会を維持していることは、次のような調査からも明らかです。「経済・平和研究所(IEP)」が、戦争やテロ、軍事や犯罪など23の指標で数値化した2018年の世界平和度指数ランキングの上位10カ国は、



アイスランド、②ニュージーランド、③オーストリア、④ポルトガル、⑤デンマーク、⑥カナダ、⑦チェコ、⑧シンガポール、⑨日本、⑩アイルランドです。



10位圏のうち、アイスランドニュージーランドシンガポール、日本、アイルランドの5カ国は、島嶼国家なのです。196カ国中の39カ国という、全体国家数に占める比率が圧倒的に低い島嶼国家が5カ国も入っています。それは「島国」という地政学的条件が、平和の実現を容易にしていることを証明します。


日本が独立を維持できた国際的条件として、歴代中華帝国のほとんどが、建国期には拡大を図っても、安定を得ると、朝貢で国家間の上下秩序を形成することで満足する国だったからです。ローマ帝国のような、陸と海を遠征し領土を拡げた国や、イスラム帝国のように宗教伝播のため征服を行なう国が東アジアに君臨していたら、日本が独立を維持できたかは疑問です。


韓国の存在も重要です。朝鮮半島国家は侵略政策をとりませんでした。幾度か、中華帝国の軍勢が半島まで侵攻しましたが、漢は西北部のみを占領し、唐は新羅により撃退され、元は高麗に抵抗され元軍の日本侵攻を遅らせました。大陸勢力が膨張政策をとるとき、朝鮮半島が緩衝地帯となり日本は危機を免れたのです。朝鮮半島の存在と歴代朝鮮半島国家の行動が、日本の平和に貢献したことは否定できません。


日本が近代以前、文禄・慶長の役のほか外国を侵略しなかったことも、大陸勢力からの報復を免れ、大陸と島嶼の勢力圏分離がなされ、自国の安全を守ることにつながりました。日本自身が帝国建設を目指さなかったことが、結果としてこの国の独立と平和を維持することになったのです。以上のように、「島嶼独立国家」は島嶼という地理的条件、文明力、そして日本、中国、韓国という東アジア3カ国の行動により成立したのです。

 

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世界を代表する島嶼国、日・英。その相反する歴史的経験。




島嶼国家イギリスの苛酷な受難史

近世以降、島嶼国家として世界に強い影響力を持ったのはイギリスと日本でしょう。日本の特殊性を明確にするにはイギリスと比較するのが近道です。両国は王室を戴き、国民性も類似したところが少なくありませんが、対外関係史から見ると、中世までのイギリスの歩みは、日本と正反対と言えるほど苦難に満ちたものでした。


ブリテン島には紀元前7世紀頃からケルト人が居住していましたが、紀元前1世紀にカエサルが侵入し、後にローマの属州となり、122年にはハドリアヌス帝が北部に堅固な長城を建設しました。イギリスは早くも紀元前、ローマ帝国に征服され、4世紀半ものあいだ支配されたのです。この時代にローマ風文化が栄えキリスト教も伝わりました。


5世紀なかば、大陸からアングロサクソン族が侵入し、ケルト人を征服し「七王国」を建てました。この時期に文化は荒廃し、キリスト教会も姿を消してしまいます。6世紀後半、大法王と称えられたグレゴリウス1世は、40人の布教団を派遣し、イギリスにキリスト教を復興させました。グレゴリウス1世は若い頃、ローマで可憐なアングル人少年奴隷を見て、彼らに神を知らせようと決心したと言います。イギリスは再度のキリスト教化を契機に、文明が興隆して行ったのです。


ところが、11世紀になり、バイキング王カヌートに征服され、デンマークに併合されてしまいます。カヌートの死後アングロサクソン王家が復活したのも束の間、1066年、やはりバイキングの子孫でフランスに領土をもつノルマンディー公ウイリアムに征服され、以後イギリスは長く、フランス語を話す人々に支配されました。ヨーロッパはバイキングの跳梁に悩まされましたが、諸国はよくこれを防衛し、また、彼らに利益を与え懐柔しましたが、イギリスは完全に征服され、ふたつの王朝が建てられたのです。


以上のように、イギリスは幾度も異民族による侵略と支配を受けました。主要民族であるアングロサクソンケルト人の土地を奪った征服者であるとともに、ノルマン人によって支配された被征服民でもあるという複雑な歴史を経たのです。


反面、ローマという文明の光源から遠く離れているにもかかわらず、海を越えて行なわれたローマ帝国による征服とローマカトリックによるキリスト教化は、早くからイギリスを文明化しました。このようにイギリスは、大陸からの強力な働き掛けにより「国のかたち」ができ上がったのです。それが日本と決定的に異なる点です。


イギリスは大陸からの試練によって国際政治の厳しさを身をもって知り、したたかな現実主義を磨く一方、ローマ文明とキリスト教の受容によって文明度を高めました。この歴史的経験は後に七つの海を支配する大英帝国建設の礎となったのです。


イギリス史と比較すると、大陸勢力から征服や圧力を受けなかった日本が、どれほど特殊な歴史を持つ国であるか判ります。近代に日本は、アジアに覇権を拡大し帝国を形成しましたが、イギリスと比べ、国際関係において経験不足の帝国でした。


そもそも日本は、「帝国」と縁のない国で、他国から支配されたことも支配したこともなく、敵国と外交駆け引きを演じた経験すらほとんど持たない国でした。それが明治になるや、急に大陸進出をはじめ長く平和的に共存してきた隣国を支配したのです。日本が近代におこなった帝国建設は、民族の歴史的背景にそぐわない、極めて困難な政策だったのです。


 

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