サンクチュアリ通信BLOG 平和戦略

世界平和戦略、日本の国家戦略から、宗教、歴史、政治など、さまざまな分野を幅広くあつかうBLOGです。 分かりやすく、面白い、解説に努めます。

戦国キリスト教・激動ヨーロッパから激戦日本に

 

 

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ザビエル来訪は躍動する戦国脱亜時代を拓いた



 島嶼独立国家・日本 -グローバリズムと戦う日本文明論-9》



永田正治 (Masaharu Nagata)

 

         

われらは唯一のデウス、唯一の信仰、唯一の洗礼、唯一のカトリック教会を唱道する。日本には十三の宗派があり、そのほとんどすべてが礼拝と尊崇とにおいて一致しない。
         (『フロイスの日本覚書』松田毅一・E.ヨリッセン 中央公論社)

 

 

                * * *

 

          
 ●中国からヨーロッパへ、先進知識の供給源が大転換

 

戦国時代の末期、日本にやって来たカトリックの宣教師は、ローマ教皇の意をうけ、キリスト教を布教するため海外にのり出したイエズス会の司祭たちでした。彼らを支援したのは、ポルトガルスペインで、両国は大航海時代をひらき、世界に領土を拡張するキリスト教の帝国で、ヨーロッパ拡大の先兵となった国々です。当時のヨーロッパは、宗教改革によりプロテスタントが勃興し、カトリックとのあいだで、凄惨な宗教戦争の時代に突入していました。宣教師たちは、内には宗教間の葛藤、外には征服という、激動するヨーロッパから戦国動乱の日本へ、まさにその絶頂期を迎えようとしている時にやって来たのです。

 

 

このカトリックの宣教師たちを保護した信長は、「戦国の申し子」のような人物でした。彼は、敵を倒し勢力圏を拡大するため、鉄砲活用や経済集中など、時代の新機軸を次々に打ち出しました。その信長も、宣教師に対してだけは、彼らの知識を貪欲に求める探求者であり続けたのです。彼は、宣教師を通じ、地球が球形であること、アジアを越えてさらに大きな世界があること、世界情勢、ヨーロッパの宗教、政治など、多くの情報を得ました。

 

 

先進知識の情報源がヨーロッパになり、ながく、知の発信地であった中国の役割は失われました。「日本・唐・天竺」という世界認識から、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカまで広がる、近代的世界認識を持つようになり、中国はただの隣国となったのです。それらの知識は、今日では常識ですが、当時の日本人にとっては、宣教師以外には得られない最先端の知識でした。

 

 

 

 バテレン(宣教師)は、信長の国家戦略構想のブレーン

 

他の戦国大名が、領国経営と周辺情勢に目を奪われているなか、信長のみが、世界の中での日本という視野を持ち、日本をも越え、全国統一後は中国を征服するという途方もない構想まで、宣教師フロイスに語っていたのです。

 

 

よく、信長は、ヨーロッパの文物を得るため、宣教師を優遇したと説明されますが、彼はすでにフロイスが驚くほど多くの南蛮文物を所有しており、鉄砲は国産化され、入手には宣教師を通じる必要はありませんでした。信長は、「もの欲しさ」などではなく、宣教師を通じて、世界の情報を得、日本統一後の国家構想を案出するため、またヨーロッパ世界と通交するため、すなわち彼らを「ブレーン」として、あるいは「外交官」として特別な処遇をしたのです。

 

 

ヨーロッパのキリスト教拡大は、キリスト教国家の文明力と国力を背景としてなされましたが、遠方に位置するポルトガルが、日本に及ぼせる影響力はごく限られたものでした。ローマ帝国キリスト教を公認したとき、キリスト教は大勢力でしたが、当時の日本のキリスト教は脆弱で、宣教師は京都から追放され、まさに風前の灯の運命でした。

 

 

古代の仏教と、戦国のキリスト教は、やって来た地域は異なりましたが、伝来後の状況は似ていました。国内基盤が脆弱で、王権である天皇は、受容に消極的、あるいは反対し、既存勢力の強い反発を受けたため、馬子も信長も、反対を押し退けて保護しなければならなかったのです。日本は、仏教もキリスト教も、教えの発祥地から遠くはなれ、両宗教を受容した帝国との関係も希薄で、帝国の征服や圧力、あるいは外交関係により宗教が伝わらないという条件が、同一でした。

 

 

そのため、世界宗教の受容と奨励を一手に請負う実力者が求められ、その人物の役割が大きなものになりました。古代における仏教受容の「請負人」が蘇我馬子で、戦国時代のキリスト教受容の「請負人」が信長でした。

 

 

信長はキリスト教に対し、人々が驚嘆するほど好意を示しましたが、これは人々から恐れられた人物が行う、極めて効果的な庇護策だったのです。信長の後押しにより、短期間に、キリスト教は大勢力に成長し、この南蛮宗教が一世を風靡する時代をつくりました。このような保護政策を実行したのが、天皇でも将軍でもない一人の有力武将信長であったことも、島嶼独立国家の世界宗教受容の特徴をあらわしています。日本には、世界的文明や世界宗教との遭遇期に、忽然として、日本の枠を超える強い改革意思をもつ人物が現れますが、信長はそのような人物の代表といえるでしょう。

 

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秀吉の朝鮮侵攻のルーツは何か?

 

●中国侵攻の発案者は秀吉ではなく信長だった!

 

宣教師と出会った13年後、信長は本能寺の変に斃れました。彼の壮大な野心は、後継者秀吉に受け継がれ、文禄・慶長の役を引き起こしたのです。この戦争は信長の遺産と言ってよいものでした。今日まで、朝鮮侵攻は秀吉の発想で行われたと思われて来ましたが、この戦争を、日本を神国とし、天皇を崇拝した秀吉の責任に帰すことは、日本が本来的に侵略性や野蛮性を持つ国であると誤解される余地を提供し、「神国‐天皇‐秀吉‐武士‐侵略」という荒唐無稽な構図が成立する危険があります。戦前には日本自身が、秀吉は愛国者天皇を尊び、外国を征伐した英雄と称えたのです。

 

 

日本の歴史上、他国侵略のために兵を発したのはこの時が初めてで、海外侵略は、島嶼独立国家の伝統から逸脱する行為でした。秀吉は信長のように、日本を根本的に変革するような発想は持たず、天皇を戴き、日本の伝統を継承し、武家と貴族を合わせた政治体制をつくりました。しかし、アジアに対する認識と、中国を征服するという計画、すなわち海外認識と国家戦略は信長の発想を踏襲したのです。

 

 

そもそも日本には、中国を軽視する風潮はありませんでした。権勢を誇った足利義満ですら明朝に臣従しようとし、戦国大名も保守的な人物達で、中国観は古来のものでした。中国も征服可能な普通の外国とする考えは、信長と秀吉の中国観なのです。多くの人々はこのような意識を持てるはずもなく、秀吉の朝鮮侵略も人々は疑いを持っていたのです。

 

 

6世紀、日本はアジア伝来の宗教である仏教を受容し、アジアと強く結ばれました。1000年のあいだ、アジアを尊重していた日本が、戦国末期、ヨーロッパ文明との接触の衝撃により、突如として、国家意思決定者のアジア観が変化し、中国侵略の野望を抱き朝鮮半島に侵攻したのです。この転換は、「戦国脱亜」と言えるアジア観と国家戦略の大変化で、ヨーロッパとの交流により科学技術は発展しましたが、島嶼独立国家を変貌させ、人々の価値観を混乱させました。それは、江戸元禄時代にいたり、儒教と仏教を強力に奨励することにより、国民が価値観の安定を取り戻す時まで、負の影響を及ぼしたのです。

 

 

また、戦国脱亜はヨーロッパ国家の圧力がないにも拘わらず、信長が、積極的に、キリスト教とヨーロッパ文明を受容して主導したもので、西洋列強の圧力によって引き起こされた「明治脱亜」よりも、自発的な、脱亜の原型とも言える日本史上の特殊時代でした。

 

 

 

 ●信長、宣教師フロイスと邂逅 戦国史を変えた出会い


  
永禄12年(1569)3月、信長は綸旨(天皇の命令)で堺に追放されていた宣教師ルイス・フロイスを京都に帰還させました。これは、いかに朝廷の力が弱い時代でも、大変な越権行為で、王権が厳に禁じた宗教を、しかも王都で、信長という、一実力者が独断で許可するという、おそらく世界の宗教史上おこり得ない出来事でした。

 

 

信長は、フロイスの京都到着3日後、宣教師一行を接見しました。彼らは謝礼として、大きなヨーロッパの鏡と孔雀の尾、黒いビロードの帽子とベンガルの籐の杖を携えて行きました。一行は、奥に通され食膳を饗されましたが、信長の対応は、遠くから宣教師をじっと観察するだけで声もかけず、贈物のなかで、ビロードの帽子だけを受け取るという異様なものでした。

 

 

後に、信長はこの行動について、「遠方から渡来した異国人をどう扱ってよいものか判らず、宣教師と二人で話せば、自分がキリシタンになることを望んでいると疑われることを案じたため」、とその理由を語っています。

 

 

さすがの信長も、はじめて見る異国人、しかも都で物議をかもしているキリシタンバテレンに対して、下手に扱えば政治的負担を負うことにもなりかねないので、どのように遇してよいか迷ったのです。この、信長とフロイスの出会いから、日本の戦国時代の様相が一変する激変がはじまるのです。

 

 

 

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