サンクチュアリ通信BLOG 平和戦略

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ローマ帝国の大迫害とキリシタン大殉教の類似要因

     

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歴史は、後ろ盾のない宗教は迫害された事実を伝える

島嶼独立国家・日本 -グローバリズムと戦う日本文明論- 5》



永田正治 (Masaharu Nagata )

 


●はじめに

 

前回、世界の宗教受容は、帝国の力によって達成された場合が多かったと論じました。島嶼独立国家・日本は、帝国の力が及ばない国でした。しかし、仏教、儒教キリスト教を受容しました。すなわち、日本は、宗教を、帝国の力でなく、日本人の力によって受容したのです。そこには、高度な世界宗教の価値を認められる思想性、精神性と、既存宗教の激しい反対を押し切って導入した努力と苦難がありました。日本の世界宗教受容は、日本人の主体的意思と行動によるものでした。しかし、反面、諸外国の歴史と比べ、宗教の果たした役割は大きいとはいえません。むしろ、小さかったといえるでしょう。今日に至っては無宗教者が多数を占めます。日本は、自ら宗教を導入しましたが、宗教の存在は弱いというパラドックスがあります。これは大きな謎です。その謎の解明が今回のテーマです。

 


●「ローマ以来の迫害」の原因

 国家にとって世界宗教を受容する意義は重大です。どの世界宗教を、いつ、だれが主導し、どのように導入したかは、その国が置かれた地政学的条件と国家の権力構造に左右され、受容後は国家に大変革をもたらしました。日本は世界宗教受容のあり方が諸外国と異なっていたのです。

 

 

日本は、世界宗教の発祥地や世界宗教を受容した帝国から、海洋を介し遠く離れ、しかも帝国の政治的影響力が及ばないという地政学的条件を具えていました。そのため、帝国により受容を強要され、或いは帝国の意向を配慮するなど、帝国の影響力が作用して世界宗教を受容することはなかったのです。また、王権強化や敵国に優位に立つために世界宗教を導入するという動機もなく、王権が受容を推進しなかったため、伝来した世界宗教は既存の政治、宗教勢力の反対に直面したのです。すなわち日本は「帝国-王権-国民」という世界宗教受容の流れが成立しないのです。

 

 

6世紀、仏教百済から伝来しました。当時の仏教は中華帝国と朝鮮三国で篤く信仰され、インド、西域でも多くの人が帰依する宗教でしたが、日本では強い反発に遭遇し、崇仏派の蘇我氏と廃仏派の物部氏が対立し、朝廷を二分する戦争を引き起こしました。仏教隆盛というアジア世界の大趨勢といえども日本に決定的な影響を与えなかったのです。

 

 

戦国時代にキリスト教が伝わりましたが、「ローマ以来の迫害」と言われるほどの徹底したキリシタン弾圧が行なわれました。このような迫害が起こり得た理由は、ローマと日本のキリスト教をめぐる状況が似ていたからです。ローマの迫害は、多神教を信じるローマ帝国内に、一神教キリスト教信者が増えたことによって引き起こされました。キリスト教は帝国内に広がりましたが、外部の支援はありませんでした。たとえ周辺にキリスト教国家があったとしても、強大なローマ帝国の国策を変更させる力はないのです。

 

 

日本での迫害は、ヨーロッパ・キリスト教国家の影響力が及ばない国で信者が増え、それを根絶やしにするためになされたものです。遠く離れたスペイン帝国キリシタンの後ろ盾になることはできず、日本に影響力を行使する力はなかったのです。反対に、明治になり日本に西洋帝国主義列強の影響力が及ぶようになると、その圧力によりキリスト教は公認されることになります。

 

 

儒教は、6世紀に百済から伝来し学問として学ばれました。孔孟の教えは歴代中華王朝の国教であり、14世紀末には朝鮮王朝も統治理念としました。東アジア諸国の支配的宗教であっても、日本で統治理念になるには韓国よりも約300年おくれ17世紀末の徳川綱吉の時代まで待たねばなりませんでした。このように日本では世界宗教の伝播、発展は困難に直面したのです。

 

 

諸国における世界宗教の受容は帝国の影響力により、水が高い所から低い所に流れるように順調に、あるいは障害を容易に克服し達成されました。それと比較すると、日本で3つの世界宗教がそろって困難に遭遇したのは際立って異例なことです。

 

 

それは日本伝来時の世界宗教をめぐる状況が、世界宗教受容史の、帝国に受容される前の段階、すなわち帝国の保護を得られず、宗教者が逆境のなかで宣教する時代に一致していたからです。仏教はアショカ王に受容される前の段階、キリスト教はコンスタンチヌス帝に受容される前の迫害時代、儒教武帝によって国教とされる以前の段階に相当しました。すなわち日本は、世界宗教は受容した帝国の影響力が及ばないところでは伝播に困難が伴った」という条件をもつ国家に明確に当てはまったのです。

 

 

外来宗教に拒否反応を示すのは異常なこととは言えません。人々が古い考えにとらわれ、外来の価値観をすんなり受け入れられないのは古今東西を通じて共通することです。諸国で世界宗教の受容が順調に成し遂げられたのは、ほとんどの場合、直、間接的な帝国の影響を受ける国家の君主が、帝国が信奉する世界宗教を受容すれば多大の利益があり、反対に受容しなければ国に害が及ぶと考えたからです。世界宗教の受容は、国家の生存問題と関係し、王権が強力に推進し、国内の反対は力で抑えられたのです。

 

 

日本で世界宗教への反発が強かったのは、外来宗教や思想に対する固有の排他的土壌が存在したからではありません。国家の置かれた特殊条件により、王権が国家戦略上、あるいは王権強化のため帝国の宗教を受容する必要がなく、庇護しなかったため、既存勢力の反対に直面したからです。国家意識が強かったためではなく、むしろ希薄だったからとも言えます。

 

 

多くの国において世界宗教の受容は、世界宗教を信奉する帝国との国際問題という性格をもちましたが、日本においては世界宗教の受容推進者と反対勢力の葛藤、抗争という国内問題として推移したのです。

 

 

 

●日本における世界宗教のクライマックスは受容期

 

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キリスト教帝国の後ろ盾がないキリシタンは大殉教の道をたどった

 

 

世界宗教の信仰の力が問われ発揮されたのは二つの時代があったと思います。まずは、世界宗教が国家によって受容されるまで、もう一つは世界宗教を受容した国家が試練に直面した時です。日本と諸外国では信仰の高揚期が異なったのです。

 

 

諸国での世界宗教受容は王権が主導し順調に推進されましたが、それは王権の事業であり、宗教にとっては受動的なものでした。これらの国で宗教的情熱が高揚したのは国家、民族の「試練期」でした。外国に侵略された時、あるいは戦争をしている時など、国民が極度の苦難を受ける時に、人々は世界宗教に頼り、愛国心と信仰心を一つのものに固く結びつけたのです。

 

 

例えば、ポルトガルゲルマン民族である西ゴート族が侵入しキリスト教を国教としました。8世紀からイスラム勢力に400年以上も支配され、キリスト教徒が国土回復戦争を続けポルトガルを建国します。その後は順調に発展し、大航海時代には世界帝国になりますが、1578年にセバスティアン王がアフリカ遠征に失敗し、2年後、スペインに併合されてしまいます。

 

 

ポルトガルキリスト教を戴きイスラム教と戦い建国し、後に世界にキリスト教を伝える帝国になりましたが、スペインに支配され屈辱を味わいました。この歴史の変遷の中で、国民はキリスト教への信仰と愛国心を高揚させ、国家の独立と発展のために努力と忍耐を重ねました。いかに国家の栄光と試練がキリスト教と強く結びついているでしょうか。まさにこれによって、キリスト教ポルトガルの国教の座を不動のものにしたのです。実に、国教とは国民がつくるものなのです。

 

 

これはポルトガルに限ったことではありません。ヨーロッパにおいては、全ての国が異民族支配や圧迫を受けました。そのような艱難の時代に国民の愛国心と信仰心は高まったのです。東欧社会主義政権下で弾圧されたキリスト教が冷戦後に力強く復興している姿を見てもそれが判ります。今日の民族、宗教紛争の構図も、困難な立場にある民族が、民族意識と信仰心を高揚させ、強力な国家に対抗するというものです。

 

 

反対に日本では、世界宗教において強い信仰心が必要とされた時代は「受容期」だったのです。世界宗教は受容期に既存政治勢力や宗教勢力の反対、迫害を克服しなければなりませんでした。仏教やキリスト教儒教の受容、奨励期は、推進した権力者(中心人物)信徒達に、強い信念と信仰の高揚、また行動が要求されたのです。

 

 

しかし、キリスト教をのぞき、一旦、世界宗教が受容されれば国家の保護を受け発展しました。また日本は外国の侵略、支配という国難も経ず、明治まで国民の愛国心と信仰心が強く結びつくような外患はなかったのです。元寇の時に武士は抗戦し仏教界は敵国調伏の祈祷をなし、日蓮のような国家を強く意識する宗教家も登場しましたが、危機は早期に免れ、諸外国の苦難とは比べようもありません。日本人の宗教心は諸外国と比べ弱いと言われますが、その遠因は宗教によって国家存亡の危機を克服した経験を持たず、民族や集団における宗教の究極的な重要性を感じないからではないでしょうか。

 

 

ともあれ日本は、諸外国で世界宗教受容を推進させた、帝国の影響と敵国との生存競争という状況がなかったにもかかわらず、仏教、キリスト教儒教という世界的普遍宗教を受容しました。そこには外のメッセージを敏感に受け止め、核心部分を導入し、自分のものとして結実させ得た何かがあり、またそうする努力が求められたのです。その主体的行動がなければ日本は世界宗教を受容できませんでした。本書では、伝来した世界宗教が受容期に困難に直面した事情と、受容を推進した人物である、仏教の蘇我馬子キリスト教織田信長儒教徳川綱吉という、異端的権力者の試みに光を当てました。それはまた、脱亜、入亜という巨大な文明現象を引き起こした原動力を知ることにも繋がるのです。

 

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